☆ 技術象徴論 ☆

井出 薫

 科学技術が歴史を決定するという技術決定論が正しくないことは容易に理解される。原子力を発見したからと言って、核兵器を製造し使用するとは限らない。核兵器どころか平和利用と称される原子力発電を拒否することもありえる。技術がどのように発見又は発明され、あるいは利用されていくかは、技術そのものだけでは決まらない。さらに一般論として、技術がどのように、どの程度の速さで発展するかは社会環境により大きく異なり、その点でも技術決定論は正しくない。

 もう少しきちんと議論しておこう。本稿では「技術」という言葉を、人間が制作する道具や機械を系統的に使用して生産や生活を行うことを表現する言葉として限定的に使用する。それは近現代においては自然科学と密接な関係を有する工学により体系立てられている。組織の運営や法の解釈なども、しばしば「技術」という言葉で表現されるが、そういうものは本稿では「技術」の範疇には含めない。実際、技術決定論の「技術」は通常このような狭い意味で使用される。広い意味で「技術」という言葉を使用すると、社会を決定する者は社会であるという無意味な主張となる。

 技術決定論は二つの原理を有する。「技術は自律的に発展する」、「技術が社会の在り方と歴史を決める」この二つの原理が技術決定論とは何かを規定する。前者を含めない者もいるが、技術の発展の自律性を認めないと、技術の発展を規定する他の何かを想定せざるを得なくなり、技術が土台であるという主張と矛盾する。従って、この原理は技術決定論が一貫した主張であるために欠かせない。しかし、いずれの原理も一般的には成り立たない。資本主義における市場競争は、技術の自律的な発展を促すかのように見受けられるが、実際は、その発展は、政治的、文化的、歴史的な様々な要素に影響されており、自律的とは言えない。また、そもそも、市場競争に促されるという事実が何よりも技術の発展が自律的なものではないことを示唆している。さらに、二番目の原理も一般的には成り立たない。第二次世界大戦は核兵器の登場をほぼ歴史的必然とした。その意味では、原子力の発見とその応用技術は、核兵器とその使用により、世界大戦の性質を変容させ、大国間での直接的な戦争の抑止と冷戦を引き起こしたと言える。しかし、それは原子力という技術の必然的な帰結ではなく、資本主義と共産主義の対立など様々な要因の絡み合いで生まれたものと見なくてはならない。また核兵器の登場自体が極めて政治的な配慮によるものであり、技術に規定されたものとは言えない。パソコンやモバイル、インターネットの登場は大きな影響を市民生活や企業活動に与えた。しかし、それは新しい技術の直接的な帰結ではなく、市民や企業の思考と行動様式に媒介された間接的な影響でしかない。

 マルクスが「経済学批判」の序言で簡潔に語っている(後継者たちが命名した)唯物史観は、しばしば技術決定論だと言われることがある。しかし、これは誤解に過ぎない。マルクスは経済学批判の序言で「生産力と生産力に照応した生産関係」が現実的な土台だと言っているのであり、技術が土台だとは少しも言っていない。生産力は労働力と生産手段とからなる。生産手段は機械や道具など生産用具と、原材料、燃料、土地、半製品など労働対象からなる。そして、これらの様々な要素を統合するのが生産関係で、それが生産力を構成する諸要素を有機的に結合させ、財と役務を生産し消費するために必要な現実的な土台を形成する。生産関係は生産力により因果的に規定される訳ではなく、生産関係に生産力を構成する諸要素が包含されることにより、潜在的な生産力の諸要素が初めて現実的で動的な生産力となる。生産関係と生産力において、技術は確かに重要な要素の一つではある。しかし、それが全てを決める訳ではない。このマルクスが発見した現実的な土台は、様々な要素が複雑に絡み合ったものであり、技術は一要素または諸要素を結合させる機能の一部として現れる。たとえば労働力は労働者数だけで決まるものではなく、労働が実行される場の環境(組織の構成と規律など)、労働者の労働能力の質、教育訓練の量と質と環境、人々の絆を示す社会関係資本など様々な要素の関数として現れる。ここで、技術も労働力を決める関数の変数の一つとなる。生産手段も、ただ機械や道具、土地、資源などの量で決まるものではなく、運輸、交通、通信などのシステムに強く影響される。技術はこれらの要素において重要な役割を果たすが、その全てをなすものではない。さらに、これらを統括し規定する生産関係は、生産関係・生産力という土台の上にあるとされる政治、法、文化、宗教、イデオロギーなどから影響を受け、また媒介され初めて機能する。生産関係と生産力からなる土台(下部構造)が、政治と法さらにその上に在るイデオロギー諸形態(上部構造)を一方的に規定するのではなく、上部構造を媒介することで、初めて下部構造がその構造に相応しい機能を実現する。このようにマルクスの唯物史観は技術決定論を支持するものではなく、寧ろそれが一面的な物の見方であること、技術とその進歩を神格化する現代資本主義のイデオロギーに過ぎないことを論証している。

 それでは技術決定論は、的外れで全く誤った思想なのだろうか。そうとは言えない。江戸時代の技術では、現代的な議会制民主主義は不可能だった。市民が選挙で代表者を選び、その代表者が立法機関で法を制定し、法に従い行政が執行し、違法性が疑われるときには司法が合法性を裁定する、こういう民主的な体制を実現するためには、交通・運輸、通信が一定の水準にまで発達している必要がある。江戸時代の技術では江戸の決定を地方に伝えるのに時間が掛かり、地方の意志を江戸に伝えることも容易ではない。江戸時代に民主制が実現できたとしても、それは数百戸からなる小さな集落レベルに限られていただろう。古代ギリシャで民主制が実現できたのは、奴隷制度が存在し、生きるために必要な財を奴隷が生産し、時間的に余裕ある市民が集会場で議論をすることができたからだ。しかも、その議題は主として、真理や善、正義などで、社会を維持するために不可欠な題材ではなかった。それは現代で言えば、各界の有識者と市民や学生が議論するフォーラムのようなものであり、国全体の行く末を決めるゲゼルシャフト的なシステムではなかった。それは見方によっては、現代の民主制の萌芽と見ることもできるが、実際は、奴隷制を土台とする市民たちの小さなコミュニティにおける疑似的な民主制でしかなかった(類似のシステムは古代ギリシャだけではなく世界で見ることができる)。現代的な民主制が実現するためには、情報を素早く伝達する通信ネットワーク、人と物を迅速かつ正確に運ぶ運輸・交通手段の整備が欠かせない。それなしには、現代的な広域で汎用的な民主制は存在しえない。

 しかしながら、ここで技術進歩が必然的な帰結として、奴隷制や封建制から民主制を生み出す訳ではないことをまず指摘しておく必要がある。運輸・交通、通信の進歩は民主制を必然的に生み出す訳ではない。現代と同等の技術水準で、かつ、封建制や奴隷制が存在することはありえる。また民主制への移行が市民の自由を拡大し、それが技術進歩を促進するという逆方向の作用が存在することも忘れてはならない。だがそれでも、現代の技術が、現代の政治、経済、法、慣習、文化、宗教、(地理的な構造を含む)社会構造を、芸術と相俟って象徴的に表現していることは決して否定できない。たとえば、コンピュータ、ロボット、インターネットとモバイルに代表される情報通信技術及びその背後で「絶対的な力を行使する時間」を表現する時計は、3D映画や電子書籍、新しい音楽や絵画など、技術に裏打ちされた新たな表現形式による芸術、さらには、時間厳守とタイムイズマネーを合言葉とする現代人の行動様式と相俟って、時代の象徴として機能する。この象徴という機能により、技術に対する二つの言説が現れる。技術が全てを決め素晴らしい未来を約束するという言説、技術は大してものではなく寧ろ社会を悪くするという言説、この二つがせめぎ合いながら、この象徴性をさらに深化させる。前者は技術を称揚することで体制の強力な支援者となり、後者は技術を隠蔽することで逆方向から体制の維持に寄与する。

 技術決定論も、この技術の象徴性が生み出す現代的なイリュージョンの一つだと言える。そして、技術決定論を生み出す現代技術の象徴性を解明することで、私たちは現代をよりよく見ることができる。


(H27/4/20記)


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