☆ 人間とコンピュータ、生命と他者 ☆

井出 薫

 5名のプロ棋士と5つの将棋ソフトが競う第3回電王戦が、4月11日、プロ棋士の勝ち越し(3勝2敗)で終了した。過去2回はコンピュータが勝ち越していたが、ようやくプロ棋士が勝利を収め、面目を保ったというところだ。ちなみに電王戦は今回が最後となる。

 しかし、今回の勝負には微妙なところが多く、人間とコンピュータとの関係を考え直させることになった。その象徴が2勝2敗で迎えた最終戦第5局。ポナンザと並び最強の将棋ソフトと称される「AWAKE」と対戦するのは阿久津主税8段(32歳)。タイトル獲得の経験はないが、将来の名人候補の一人と目される強豪。将棋ソフトとプロ棋士の強さを競うには格好の人物の登場だった。

 ところが開始49分、指し手数わずか21手でAWAKEが投了、勝負はあっけなく終了した。実はAWAKEには弱点があった。2月28日、電王戦の前哨戦で、アマチュア高段者がAWAKEの弱点を発見、見事勝利を収めた一戦があった(ただし、その敗戦1局を除くと、AWAKEは残り58戦全勝)。わざと隙があるように見せかけて、角を自陣に打ち込ませ、その角を捕獲してしまうという作戦がAWAKEに通じたのだ。人間ならばプロやアマの高段者でなくとも、たとえば、へぼ将棋の典型である筆者でも引っ掛からないような手に、AWAKEは引っ掛かってしまう。コンピュータ将棋には思わぬ欠陥があった。

 2月28日の対局で判明した弱点は、もちろんソフトの開発者も阿久津8段も知っていた。許されていれば、開発者は対局までに、この欠陥を修正していただろう。しかし、事前に定められたルールで、プロ側に渡したソフトの修正は許されていなかった。だから、ある意味、勝負は最初から付いていたとも言える。阿久津8段も「葛藤があった」と語っている。もし最終戦を待たずに、プロ棋士側が勝ち越しを決めていたら、阿久津8段はこの奇策を使うことはなく真っ向勝負をしていたに違いない。

 他にも、第2局、永瀬6段(弱冠22歳、将来の名人候補の一人)と別の将棋ソフトの対局では、永瀬6段が敵陣に入った角を(馬に)成らず、混乱したソフトが反則負け(王手を放置)を喫するという事件があった。この将棋も、将棋ソフトには多くの欠陥があることを示している。

 電王戦の結果は次のことを示している。コンピュータは思わぬ欠陥を抱えていることがある(注)、コンピュータは自分の欠陥を自分で修正することができない、人間は良く言えば賢く悪く言えば狡い。これらの事実は人間とコンピュータの本質的な違いに根差している。人間は生きており、生命を維持しようとしている。コンピュータは機械であり生命を持たず、生命を維持しようとする目的を抱くことができない。予期せぬ出来事が生じた時、人間だけではなく全ての生命体、特に動物は、なすすべなく運命に身を任すのではなく、危機を脱しようとして力を振り絞る。予期せぬ手が指されても、たとえ動揺したとしても、人間はそのままずるずると敗戦を喫することはない。電王戦の第2局、第5局のプロ棋士側の奇策は、いずれも(冷静に対処すれば)悪手であり、的確に対処すれば寧ろ有利に戦いを進められた。人間は危機を乗り越え、時には好機に変えることができる。そもそもそういう風にできていなかったら生きていくことはできない。一方、機械はただ受動的に運命に翻弄される。そして、それでも何の不都合もない。生きていないからだ。
(注)コンピュータはあらゆる分野で人間に取って代わろうとしている。しかし、電王戦の結果は、コンピュータの導入には大きなリスクが伴うことを警告している。将棋の勝ち負けくらいの事ならば、実生活には全く影響はない。しかし原発の制御、飛行機、電車や自動車の運転などで使われるコンピュータで同じような欠陥があったらどうなるだろう。大惨事になりかねない。完全自動運転の自動車の開発が計画されているが、安易に実用化すべきではない。

 将棋ソフトを改良すれば、今回の電王戦のような奇策には対処することができるようになる。だがそれでもまだ欠陥は残る。そして、人間がそれを発見し、その欠陥を突いて勝利を収める。そして人間の開発者がそれを改良する。この過程が永遠に続くとは思わない。残された欠陥は段々と発見が困難なものとなっていく。また欠陥を突いて一旦は優勢になっても、ほとんどの場合、逆転されるくらい将棋ソフトは強くなる。将棋ソフトに勝つには将棋ソフトが必要という時代が必ず来るだろう。だが、たとえそうであっても、今のコンピュータでは、ソフトの欠陥を修正するのは人間の役割であり、どこまで将棋ソフトが強くなっても、コンピュータが人間を凌いだことにはならない。

 自分の欠陥を自分で修正することができるようなコンピュータを作るにはどうしたらよいだろうか。自らのソフトウェアをチェックするソフトウェアを具備することは簡単だ。しかしチェックをするソフトウェアに欠陥がないことを保証する方法がない。チェック用のソフトウェアをチェックするソフトウェアを追加することはできるが、追加したソフトウェアの検証がさらに必要となり、限りがない。それゆえ、自分の欠陥を修正するためには、他者との関わりが必要となる。人間でも自分の誤りや欠点を発見し改めることは容易ではない。それは他人との会話、他人からの指摘、他人との交際における失敗など他者との関わりの中で初めて可能となることだと言ってよい。コンピュータやロボットに自らの欠陥を正す機能を実装するには他者と関わる能力が欠かせない。それも単にネットワーク上で会話をシミュレーションするだけではなく、自らの行為を反省するという実質的な意味での能力でないと意味がない。しかし、そのような能力を持つためには、(単なるハードウェアではなく)環境と相互作用しながら自己を維持し成長する生命体としての身体が不可欠であるように思われる。だが、コンピュータやロボットでそれを実現することは可能だろうか。答えはまだない。


(H27/4/13記)


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