☆ 数学と論理学 ☆

井出 薫

 数学と論理学ほど確実な学はないと言われる。しかし、数学や論理学で使用される論理規則には合点がいかないところがある。

 数学の体系では論理規則(証明のための規則など)が欠かせない。しかし、数学を論理学で基礎づけようとすると、何かと厄介で不可解なことが起きる。たとえば、数学の体系が無矛盾であることを証明するためにはどうしたらよいだろうか。答えを知っている者ならいざ知らず、知らない者は、その答えを聞いても、すぐには納得できないに違いない。その答えとは、『数学体系において構成できる命題の中に、一つでも証明不可能な命題があれば、その数学体系は無矛盾であることが証明される。』というものだ。たった一つ、証明できない命題が存在することが証明されれば、体系が無矛盾であることが証明される。これは、常識的におかしいと思わないだろうか。

 だが、これは厳密に正しいとされる。簡単に言うと、こういう展開になる。命題「pならばq」(条件文という)は、「p」(前件という)が真で、「q」(後件という)が偽の時、その時だけ偽になる。もし前件pが偽ならば、後件qが真でも偽でも、条件文「pならばq」は真になる。さて、数学で「矛盾」とは何を意味するだろうか。命題pとその否定(¬p)がともに証明されることを意味する。さて、「pかつ¬p」は矛盾律に従い、偽であるから、矛盾した体系においては偽の命題が導かれることになる。条件文「pならばq」は、前件が偽の場合、後件は真でも偽でも真になるから、矛盾した数学体系では、「pかつ¬p」という偽の命題から、任意の命題が証明されることになる(注)。つまり、矛盾した数学体系では任意の命題が証明される。
(注)「証明」とは、公理又はすでに証明された命題Aから、「AならばB」という形式でBを演繹することを意味する。

 ここで、「pならばq」の真偽はその対偶となる命題「¬qならば¬p」の真偽と等しいことを利用して、今証明した『(体系Xは矛盾)ならば(Xでは全ての命題が証明される)』の対偶が『(体系Xにおいて一つは証明されない命題がある)ならば(Xは無矛盾=矛盾がない)』(この命題は真)であることに注意すれば、「体系Xにおいて一つでも証明されない命題が存在する」ことが証明されれば、Xは無矛盾であることが証明される。

 この証明は論理規則が正しいとするならば疑う余地がない。確かに、ここでは矛盾律「(pかつ¬p)は偽である」と排中律「(p又は¬p)は真である」が前提されている。しかし、いずれも、論理学的には疑う余地がない原理であり、この二つを否定すると私たちの論理や数学は維持が困難になる(注)。
(注)直観主義という数学基礎論の立場では、排中律は否定される。しかし、直観主義を採用すると、ここで論じているような不可解な事態は生じなくなるが、数学は著しく煩雑なものとなり、有用性が大きく損なわれる。

 しかし、それでも、ただ一つの証明不可能な命題の存在が証明できれば、無矛盾であることが保証される、という論理学の帰結にはどこか納得しがたいところがある。そもそも条件文「pならばq」が、前件pが偽ならば、後件qが真でも偽でも真となるというところに違和感がある。『「地球は太陽よりも大きい」ならば「日本の人口は1千万人以下である」』は論理学的には正しい命題だとしても、常識的には無意味な命題であることは言うまでもない。しかしながら、論理規則から、こういうおかしなことが出てきてしまう。

 ウィトゲンシュタインは、数学と論理学の不可解さに着目し、学生たちと議論をしながら、数学の基礎について考察を展開した。ウィトゲンシュタインの考察は、数学の専門家からは評判が芳しくない。ウィトゲンシュタインの主張は、注記した「直観主義」以上に、極端な有限主義で、数学の威力を著しく削ぐことになると多くの者が指摘する。しかし、ウィトゲンシュタインは数学の基礎に対して、特定の思想的立場を表明しているのではない。そうではなく、本稿で論じている不可解さを解明するために、様々な事例を提示し議論を展開しているだけなのだ。そして、その背景には、このような不可解さを忘却し、論理や数学を至高の存在として扱う者たちへの警告がある。この点については、論理学を駆使したカルナップの批判に対して、「論理学そのものを問え!」と応酬したハイデガーにも同じことが言える。ハイデガーにとっては、論理学は、一定の存在了解のもとでのみ真理であるに過ぎず、存在そのものの解明を目指す哲学にとっては何の意味も持たない。

 論理学と数学は何よりも信頼のおける学問だと信じられているし、おそらく、それは間違ってはいない。だがここで論じたとおり、不可解な点も多く、ウィトゲンシュタインやハイデガーの警告にも十分意義がある。数学の進歩とその威力は目覚ましく、その現代的な価値は譬えようがないほど巨大で、それなしには、私たちは歩くことすらできない。だが、その一方で私たちの生活の土台となっている数学や論理学には、意外な盲点あるかもしれないことも知っておいた方がよい(注)。
(注)数学の真理とは何に関する真理なのか、その基礎は何かという問いに、未だ答えはない。


(H27/2/9記)


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