☆ 唯物史観 ☆

井出 薫

 筆者の学生時代、マルクスの歴史理論は「唯物史観」とか「史的唯物論」などという名称で呼ばれていた。戦後から70年代までのマルクス主義全盛時代は、これらの名称はよく使われ、至る所で耳にしたものだった。しかし、時代は変わり、若い人に「唯物史観」などと言っても通じない。マルクスの主著「資本論」が静かなブームになっても、唯物史観という名称までは復活していない。

 マルクスが、その膨大な著作群の中で、「唯物史観」を体系的に論じた箇所はない。ところが、1859年に出版された「経済学批判」の序言で、ごく簡単に語ったことが、マルクスが神格化される過程で、「唯物史観」として祭り上げられ絶対的な地位を獲得することになる。だが、その反動で、マルクスが相対化されると同時に唯物史観も忘れさられる運命にあったと言ってもよい。

 まず、「経済学批判」の序言から唯物史観を語ったとされる箇所の一部を引用する(注)。
 『人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激に変革される。』
(注)「「経済学批判」、国民文庫、p15−16、杉本俊朗訳、大月書店、1966」から引用。

 このマルクスの説明は簡潔で分かり易い。しかも(マルクスの著作全般に言えることであるが)人の心を揺さぶる力がある。マルクスが経済学批判を出版した同じ年(1859)に出版されたダーウィンの進化論に通じるところもある。だから多くの読者を魅了したのも当然かもしれない。しかし、これはマルクスが、なぜ経済学を研究する必要があるのかを読者に説明するために使った簡単なスケッチに過ぎない。マルクスには「唯物史観」なる理論体系を確立する意図はなく、それゆえ当然のことながら、それは十分に練り上げられたものではない。

 そのため、少し考えれば、様々な疑問が出てくる。生産諸力とは何か。労働力と生産手段(生産用具(土地を含む)と原材料・半製品など、あるいは労働手段と労働対象)が最重要要素であることは間違いないが、それに尽きるものではない。生産過程には自然環境や社会インフラなどが直接的または間接的に影響を与える。これらを労働力及び生産手段に含まれるものと解釈することはできるが、その場合、どのように人間の活動と生産用具や原材料に影響を与えるかをしっかりと解明しないとならない。さもないとトートロジーになる。また生産においてはコミュニケーションが重要な要素であるが、その位置づけをどう考えるかも重要な問題となる。さらに生産諸力は自然と社会の接点となる場所でもあるが、「資本論」第3部で展開される地代論で土地に関する考察があるとは言え、自然と社会の関係は明らかにされていない。生産諸関係と生産諸力との関係も曖昧で、単純に生産諸力の上に生産諸関係があるのではなく、生産諸関係が生産諸力を包含していると考えるべきと思われるが、その場合、両者の間の矛盾とは何か、なぜ生じるのかが問題となる(注)。また、経済的基礎(下部構造)と上部構造との関係はどうなっているのか、どのようなメカニズムで特定の経済的基礎の上で特定の上部構造が生み出されるのか、これもまったく分からない。政治と法の領域と、社会的諸意識形態との関係も何ら言及されておらず解明の手掛かりはない。同じような経済構造の下でも、多様な政治体制、法思想、文化が存在することをどう理解すればよいのかも難しい問題となる。意識が存在を規定するのではなく、社会的存在が意識を規定するという主張は私たち自身の経験を考えても容易に理解できることではあるが、問題はどのような過程を介して意識を規定するのかであって、そこが解決されないと社会と人間行動の解明には繋がらない。おそらくこの辺りはマルクス自身明確な意見は持っていなかったと想像される。尤も、19世紀という時代背景を考えれば、マルクスが明快な答えを用意していなかったとしても、そのことでマルクスを非難するのは筋違いと言わなくてはならない。マルクスと言えど、一人の人間であることに変わりはない。
(注)資本論がその答えだと言う意見がある。労働の社会化と私的所有の矛盾(資本論第1部)、利潤率の長期低下傾向とそれによる利潤獲得の困難さの増大(資本論第3部)などがその答えとして挙げられることがある。しかし、いずれも「資本論」及び現実の歴史において証明された命題とは言い難い。また資本主義以外の社会体制でどうして矛盾が起きるのかは全く分からない。

 このように、唯物史観は「経済学批判」の序言で簡単に語られているだけで、学的体系と言えるようなものではない。だから、「言葉は下部構造に属するのか、上部構造に属するのか」、「上部構造が下部構造を規定することもあるのか」などというスコラ的な議論がマルクス主義研究の歴史で数多登場することになる。唯物史観はマルクス主義者が強大な勢力を築き上げることで神格化されたが、内容は乏しいものだった。そのため、マルクス主義者の様々な研究も大した成果はなく、反マルクス主義者も唯物史観を論破すると言うよりも無視するようになる。こうして、共産主義運動の後退とともに、唯物史観は歴史の表舞台からその姿を消していく。

 しかしながら、唯物史観的な発想は決して無意味ではない。マルクス主義者ならずとも、そこには現代的な価値がある(注)。これまで述べてきたことからも分かる通り、唯物史観を人間社会と歴史の実在的な原理や法則だと考えることはできない。しかし、それを社会と歴史を認識するための一つの認識論的なモデルだと考えることはできる。そして、一つの認識論的モデルと考えることで、それは重要な発見法的な手法となりえる。
(注)現代の(マルクス主義ではない)経済学者で、経済学こそが人文社会科学の基礎であると考える者は少なくない。その意味では意図せずして、現代経済学者の少なからぬ者たちがマルクスに与していることになる。いま世界で最も読まれている経済学の教科書と言われるマンキューの「経済学」(翻訳が東洋経済新報社から出版されている)にも、経済と経済学の優位性が雄弁に物語られている。しかも、現代世界においては、経済の占める力が益々大きくなり、経済のグローバル化も手伝い、国家が経済を制御できない局面が増えてきている。この意味でもマルクスの主張には一定の説得力がある。

 たとえば、新しい科学技術分野(IT、バイオ技術とその医療や第一次産業への応用、ナノテクなど)の発展の背景とその社会的影響を探究するとき、生産諸力との対比で「技術」、生産諸関係との対比で「経済環境」、政治・法との対比で「政策と法制度」、社会的諸意識形態との対比で「人々のニーズや志向」を取り上げ、個別に分析しその後総合することができる。さらに、4つの領域全体としての社会は、外部から見れば社会構造として現れ、内部からみれば文化現象として現れる。これら6つの視点の相互の連関を見ることで、新技術の社会的・歴史的意義を探究する手掛かりが得られる。さらに、比較学的方法、たとえば日本と韓国、日本とアメリカ、日本と中国など国別の比較や時代の違いの評価(戦前と戦後の比較など)を通じて、各領域の影響度を評価することも可能となる。

 これらの研究は同時に唯物史観を再構築する試みでもある。個別研究を通じて、唯物史観が役に立たない過去のモデルに過ぎないのか、それとも、それを超えて新しい姿を今の時代に現すのか、明らかになるだろう。唯物史観などを取り上げることは、時代から取り残されつつある、マルクスに郷愁を感じる団塊世代の足掻きに過ぎないと言う意見もあろう。だが、人文社会科学では、自然科学における物理学のような、明快で信頼が置ける原理や方法が確立されていない。そのことを考えれば、唯物史観を取り上げることは(たとえ結果的に無駄だったと分かったとしても)決して無意味なことではないと考える。


(H26/11/16記)


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