☆ 生産力を形成するもの ☆

井出 薫

 マルクスは生産力こそ、人間の歴史と社会を規定する最重要な土台だと考えた。生産力の発展と共に、社会体制は、原始共産制、奴隷制、封建制(農奴制)、資本制と発展し、最終的には共産制が実現するとマルクスは主張する。このマルクスの考えが正しいかどうかは別にして、生産力が極めて重要な要素であることは間違いない。江戸時代の生産力では資本主義は不可能だったし、民主制も成立しなかった。江戸の文化は、江戸時代の生産力を背景としている。

 しかし「生産力」とは何かとなると、これが案外難しい。生産に不可欠な要素として、労働力、生産用具(労働手段)、原料・燃料・半製品などの材料(労働対象)が挙げられる。しかし、これだけでは生産は実現しない。労働者を集め、原材料、機械を揃えただけでは生産は開始されない。適切な生産体制を組織し、労働者に規律を守らせ、機械や原材料を適切に配備することで、初めて生産が実現する。つまり3つの要素を適切に結合することが肝要となる。

 この結合が上手く機能するには、適切な計画を立案し、実施状況と計画を突き合わせ乖離が生じていないか、さらには市場の動向を注視し、過剰あるいは過小な生産になっていないかを、適宜、点検し調整することが欠かせない。企業におけるこれらの管理機能は極めて重要で、生産力の重要な一部をなす。生産力は3つの要素とそれを適切に結合するための管理機能からなる。

 しかし、生産活動が円滑に進むためには、これだけではまだ十分ではない。労働者が遂行すべき業務を正しく理解し、規律を守り、誠実に業務を遂行することが欠かせない。未熟練労働者で、規律を守る意識が乏しい者たちばかりの集団では、如何に巧みな計画を立案し生産体制を組織しても、絵に描いた餅に終わる。

 では、どうして、労働者たちは自らの任務を理解し、規律を守り、適切に業務を遂行するのだろう。マルクスの時代であれば、そうしなければ職を失い生きていくことができないからということで説明が付く。しかし、現代では、この説明は多くの場合成り立たない。不景気で職がなくブラック企業でも大人しく働かざるを得ない場合もあるが、たいていの労働者にとって生きていく手段は複数存在し、職場環境が悪ければ転職する。それを手助けする社会的な組織も複数存在する。

 大企業では、高い賃金、充実した福利厚生、年金制度などで労働者たちの歓心を買い、労働意欲を高め、労働生産性を上げることができる。しかし、現代では、そのような恵まれた労働者の数はさほど多くない。EU諸国では、多数の移民労働者が低賃金できつい仕事をしている。日本では、非正規雇用の労働者が、低賃金、低い福祉、低い社会保障という環境下で、正規雇用の労働者が嫌う仕事を黙々とこなしている。彼と彼女たちがそれでも規律を守り誠実に働くのは何故だろう。EUと日本では条件が違うので、ここでは日本を取り上げる。

 マルクスが語る世界が再現したという意見がある。非正規雇用の労働者たちは好きで非正規雇用を選択しているのではない。正規雇用の道が閉ざされているのでやむなく不安定な非正規雇用の道を選択している。それでも不満を漏らし反抗すれば解雇される。だから規律を守る、いや守らざるをえない。非正規雇用の労働者たちによる犯罪(有害物の食品への混入、情報漏えい)などから、このような見方も一定の説得力を持つ。しかし非正規雇用の労働者数の多さと比較すれば、犯罪数は無視できるほど少ない。ほとんどの非正規雇用の労働者たちは法を守り、企業内の規律を守り、誠実に勤労している。その一方で正規雇用の労働者それもエリートと言われる者の犯罪も目に付く。彼と彼女たちは真面目に働いていれば老後も困ることがないような環境を与えられている。それにも拘らず犯罪でそれを棒に振っている。従って、他に生きる手段がないという追い詰められた状況にあり、やむなく規律を守り働いているという状況ではないと推測される。実際、一部のブラック企業を除けば、まともな企業は、非正規雇用の労働者の労働環境にもそれなりの配慮をする。また、そう簡単には契約を打ち切らない。希望者を正規雇用する場合も少なくない。企業の外では、非正規雇用の労働者の生活と権利を守るために活動する組織は少なくないし、その成果もある程度は上がっている。これらの状況を考慮すると、マルクスの世界が再現したと考えるのはいささか無理がある。

 東日本大震災の際、暴動も略奪もなく、人の足下を見て高い料金を吹っ掛ける者もおらず、規律を守り冷静に行動し互いに協力して困難を乗り越えたことで、東北の人々は世界から称賛された。おそらく、この規律を守り互いに協力して問題解決にあたるという日本社会の特性が、非正規雇用にしろ、正規雇用にしろ、労働者たちが自らの職務を理解し誠実にそれを遂行するという状況を生み出している。これをしばしば「和を大切にする」と表現される日本に特徴的な社会関係資本だとみなしてもよい。そして、これが生産力に不可欠な3つの要素の結合力を生み出している。

 このように、生産力は、労働力、労働手段、労働対象、それらの結合からなる。そして、この経済システム的な結合力の背景には、伝統的、文化的な社会関係資本が存在している。勿論、この伝統的、文化的な社会関係資本が最初に存在し、その上に生産力が形成されるということではない。生産力の変化に基づき、社会関係資本が形成されるという面もある。いや寧ろその方が一般的には強い。日本人は勤勉だと言われるが、日本人が勤勉になったのは、この400年くらいで、それまでは決して勤勉だったわけではないという説がある。文化や伝統は決して不変なものではない。生産力の発展は文化と伝統を変容させる。日本人が、将来、楽天的で、人生を楽しむことを第一とし、ビジネス的な観点からは怠惰と評されるようになることは十分にあり得る。

 生産力はこのように極めて複雑な様相を呈する。全てが生産力で決まるという単純な決定論は成り立たない。だが、この短い考察からも示される通り、生産力に着目することは、社会を解明するうえで極めて有益であることは間違いない。


(H26/6/30記)


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