☆ 数学の姿 ☆

井出 薫

 ウィトゲンシュタインと、彼の学生の一人、コンピュータサイエンスの父で、20世紀を代表する天才的頭脳の持ち主、チューリングは数学の性格を巡って論争を繰り広げた。チューリングは、数学は無矛盾であることが不可欠だと主張する。ウィトゲンシュタインは「なぜ矛盾を恐れる必要がある」と反論する。チューリングは「矛盾した数学を使って橋を作ったら、橋は落ちてしまう」と応酬する。結局、二人の意見は平行線のままに終わる。

 常識的には、どう考えてみてもチューリングが正しい。1から100までの整数の足し算で、1から順に足していった答えと、100から順に足していった答えが異なるような数学体系は矛盾しており、かつ、使い物にならない。数学は矛盾していないから安心して使うことができる。だが、本当に、チューリングや私たちの常識が正しく、ウィトゲンシュタインは間違っていたと断言することができるだろうか。

 拡大を続ける膨大な現代数学の全体系が本当に無矛盾なのか、誰もその証明はできていない。いや、そのような証明は不可能だと言ってよい。すでにゲーデルの不完全性定理が、十分に強力な数学体系では、その体系が無矛盾であることをその体系内では証明できないことを証明している。それゆえ数学全体系の無矛盾を証明するには、全数学を包含するより強力な合理的体系が必要となるが、そのような体系は存在しない。人間の知性が生み出した産物で数学ほど完全で信用のおける知的体系は他にはない。それゆえ、数学の無矛盾性とは、数学者など現代人の信仰に過ぎない。

 (後期の)ウィトゲンシュタインは数学を言葉と同様に道具として捉える。数学の信憑性は無矛盾であることにより支えられているのではなく、数学を使って上手くやっているという事実が支えている。数学が無矛盾だから信頼できるのではなく、寧ろ、信頼できるという事実が数学の無矛盾性という信仰を生み出していると言ってもよい。

 こう言うと、もし矛盾があれば、全ての命題が正しいことになり不合理だという反論がなされる。数学体系に矛盾があれば、1+1は2にも、3にも、4にも、100にも、無限大にもなることができる。だから、矛盾は存在しない。つまり、無矛盾であることを証明できなくとも、矛盾があってはならないことに変わりはないという訳だ。だがこの議論は「「pならばq」という命題は、前件pが偽の場合は、後件qは真でも偽でも真である」という論理学の原理に基づいている。論理学に拠れば、矛盾があればどのような命題でも導出できることになる。しかし、この論理学の原理が絶対的なものであるかどうは分からない。単純な命題論理が無矛盾であることは証明されているが、単純な命題論理だけから数学を導き出すことはできない。それゆえ、このような議論でウィトゲンシュタインの懐疑を排除することはできない。

 20世紀に入り、主として経済現象の解明を目的としてゲームの理論という数学分野が、(チューリングやゲーデルに優るとも劣らない)天才ノイマンにより開発された。ゲームの理論は発見と言うよりも寧ろ発明と呼ぶ方が相応しい。そこでは数学はまさしくゲームのための道具と言ってよい。それは客観的に存在する数学世界の真実を探求すると言うよりも、自然を、社会を理解するための強力な道具として捉える方が事実と合致している。「ゲームの理論」など数学ではなく、応用数学に過ぎないという意見はある。事実、ノイマンがゲームの理論を提唱した当初、不動点定理の応用問題に過ぎないと数学者からは冷ややかに迎えられている。しかし、その後、経済学だけではなく広く社会科学全般に、さらには生物学や生態学など自然科学の分野にもゲームの理論は浸透し、大きな成果を挙げている。

 20世紀の物理学革命は様々な数学の領域を開発した。ディラックのδ関数は超関数論を生み出し、現代的な関数解析へと繋がっていく。分光学や素粒子論で群論が驚異的な威力を発揮したことを切っ掛けに、代数学や代数幾何学、位相幾何学、微分位相幾何学などで大きな革命が起きた。近年では量子論における物理量の非可換性を幾何学の研究に応用することで非可換幾何学、量子的な微分・積分などという領域も生まれている。一般相対論は微分幾何学の成果に基づいているが、それと同時に、一般相対論など物理学の諸分野を栄養源として微分幾何学はその後大きく成長することになる。ポアンカレ予想を解決したペレルマンは、その証明に統計力学的な手法を使っている。数学は現実を対象とする実証的科学である物理学と常に隣り合って進展しており、決して論理的、抽象的な世界に留まっている訳ではない。

 こうしてみれば、数学が持つ道具的な性質が明らかになる。そして、数学を道具として捉えるウィトゲンシュタインの考えに一理あることがはっきりする。確かにウィトゲンシュタインの考えは極端だ。チューリングが指摘するとおり、矛盾の有無は数学においては非常に重要な指標であり、理論の妥当性を判断する基準となっている。それは、物理学における対称性と保存則のような強力な原理であり、研究の指針だと言える。しかし、それでもなお、数学とは超越論的な存在ではなく、現実と共にある。数学は物理学のような実証科学ではない。しかし、実証科学と共に在ることで初めてその存在意義と真実性が与えられる。たとえば数論のような純粋数学の典型と目される分野ですら、現実の実証的諸科学や工学的応用と密接な関係にある。そのことを忘れてはならない。


(H26/3/17記)


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