☆ 反証可能性 ☆

井出 薫

 黒田日銀総裁はポパーの愛読者だそうだ。ポパーの哲学思想は批判的合理主義と称される。批判的合理主義とは、合理性を重視しながらも、「合理性」の明確な定義は不可能であり、合理主義者がしばしば不合理な主張をすることを戒める立場だと要約することができる。ポパーの思想は現代でも大いに参考になる。政治、経済、法律、報道、言論、あらゆる分野で、論者は自説の合理性を強調する。しかし、実際は、独善的、情緒的な議論が多く、合理的な論証よりもレトリックが多用されている。

 ポパーの思想は、こういう不合理な状況に鋭く切り込む。合理性の絶対的な基準はない、だから合理的であるかどうかの判断は容易ではない。たいていの場合、合理的か否かの大よその判断はできる。「昨晩、火星人が家に押し入り、3万円盗んでいった。」と誰かが主張したら、合理的な主張ではないとすぐに判断できる。だが、その判断基準は絶対的なものではない。火星人の存在は完全には否定されていない。

 ここで重大な論点になるのが、合理性の基準、絶対的ではないが、おおよそ妥当とみなせる基準が存在するかどうかだ。もしそういう基準が一切存在しないとしたら、合理性という概念は完全に崩壊し、誰もが好き勝手なことを言ってもよいことになる。そこで、ポパーは合理性の基準として「反証可能性」を提唱する。ポパーによると、ある主張が合理的であると言えるための必要条件(十分条件ではない)は、その主張が反証可能であることになる。この基準に従い、ポパーは、アインシュタインの相対論は合理的な理論であることを認め、一方で、フロイトの精神分析やマルクス主義者の歴史観は合理的ではないと批判する。アインシュタインの一般相対論の正しさは、水星の近日点の移動量、太陽による光の歪曲の観測など、様々な観測結果・実験結果から支持されている。逆に、もしこれらの観測結果がアインシュタインの理論からの帰結と矛盾していたら、アインシュタインの理論は否定されていた。つまり、アインシュタインの理論は反証可能で、それゆえ合理的と認められる。一方、フロイトの精神分析には反証可能性が認められない。夢分析などは如何様にも解釈でき、どのような事実を突き付けようとフロイトは自分の解釈の妥当性を主張し続けることができる。マルクス主義者の歴史観も同様で、「共産主義革命がいつか必ず起きる」という主張は反証可能ではない。なぜなら革命が起きるのは「いつか」であり、具体的な日時を指定していないからだ。共産主義革命が起きなくても、常に「いつか起きる」とマルクス主義者は言い続けることができる。

 ここで、反証可能性の基準が、特定の主張や命題が真偽を判断する基準ではなく、合理的か否かを判断する基準であることに注意する必要がある。フロイトの精神分析の帰結は妥当かもしれない、共産主義革命は実際に起きるかもしれない。だが、たとえそうだとしても、それは偶然当たっただけで、合理的な論理で導かれたものではない。反証可能性の基準は、フロイトやマルクス主義者の個々の主張や命題を否定している訳ではなく、彼らの態度が合理的なものとは認められないということを指摘している。この点を理解せずに、ポパーを批判する者(「ポパーは反共主義者だ。」など)がいるが、的外れだと言わなくてはならない。

 反証可能性の基準には多くの批判がある。反証可能性は、どのような理論も絶対的な真理ではなく、暫定的な真理であることを含意する。アインシュタインの相対論は将来反証となる事例が示され否定されることがありえる。ポパーの基準に拠れば、あらゆる合理的な理論や主張は暫定的に認められているに過ぎない。しかし数学はどうだろう。証明が間違っていることはあるが、証明の正しさが広く認められたら数学的真理は絶対的、永遠の真理になるのではないだろうか。ポパーの主張が完全に正しいとすれば、「合理的な理論、主張、命題、等々」の集合は「反証可能な理論、主張、命題、等々」の集合と合致することになるが、数学に限らず他にも合致しない例があるのではないだろうか。さらに、いささか詭弁めいているが、反証基準そのものへの論理的な批判もある。たとえば「反証基準そのものは反証可能なのか?反証可能ならば、それは暫定的な基準でしかない。反証不可能ならば、反証基準により、反証基準は合理的ではないことになる。」という批判だ。

 これらの批判が示唆するとおり、反証基準は決して万能ではない。万能だと考えると、その基準自体が不合理になる。しかし、反証可能性の基準を、「合理的な態度とは、常に、批判に対して開かれていること、寛容であることである」と緩やかに解釈すれば、現代世界で多くの人々が支持する民主制、人権、平和を支持する思想となる。そしてそれらのものが合理的であることを根拠付けることになる。

 ポパーの思想は、20世紀哲学の重要な一潮流であった反形而上学を掲げる実証主義的な哲学運動の一つに位置づけられる。ポパーの前には、一部の論理実証主義者が主張した検証理論(科学的合理性とは検証可能であること、命題の意味は命題の検証方法のことだ、とする理論)などが位置する。反証可能性基準は検証理論へのアンチテーゼという側面がある。それゆえ、ポパーの理論は必要以上に、厳密なものと受け取られやすい。だが、ポパーの理論を厳密なものと受け取ると、論理実証主義が破綻した時に、ポパーの思想も終わったということになる。だが、先に述べたとおりそうではない。人びとの社会的な態度を評価する際に、ポパーの反証基準は今でも極めて有益な指針となりえる。独善を回避し、熟慮と討議、寛容を基盤とする社会づくりのための指針として。


(H25/11/23記)


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