井出 薫
高校や大学の1年次に習うのが力学、大学の1年後半以降習うのが解析力学。文系の学生だと解析力学まで習う者は少なく、両者の区別はぴんと来ないだろう。そもそも、両者の区別は言葉の問題に過ぎないという面もある。世界的に有名な解析力学の教科書と言えば、ゴールドスタイン著「古典力学」、ランダウ・リフシッツ著「力学」が挙げられるが、どちらも解析力学とは銘打っていない。20世紀初頭の本だが、今でもこの分野の最高傑作と呼ばれるホイタッカーの著作は「解析力学」(翻訳書は絶版でほぼ入手不可能)だが、要は、「力学」や「古典力学」で「ニュートン力学」だけを意味することもあるし、「解析力学」も含むことがあるという訳だ。しかし、いわゆるニュートン力学と解析力学とでは大きく異なる。 ニュートンの3法則を出発点とする体系を通常ニュートン力学と呼ぶ。これをただ「力学」と呼ぶ場合もある。慣性系の存在、質量と加速度の積と力の関係、作用・反作用、この3つの原理から、ニュートン力学は出発し、様々な問題を解決する。しかし限界がある。変数変換した時に方程式の形が変わる、保存則を数学的にきちんと導くのが容易ではない、など、解析力学を学ぶとその不備が分かるような難点が多々ある。しかし何と言っても、電磁気学、相対論、量子論など、ニュートン力学以後、新たに登場した物理理論は、ニュートン力学だけでは包括的に議論することが出来ない。これらの新理論はニュートン力学を超えているのだから、当然と言えば当然だが、一見してニュートン力学を否定しているように見えても、これらの物理はニュートンとライプニッツに始まる微積分学を土台とする数学的世界像を背景としている点ではニュートン力学と変わるところはない。ニュートン力学だけでは、全ての物理学体系を統一的に理解するためには全く不十分だが、それでも、物理学的世界像はニュートン以来変化していないと言ってよい。事実、ニュートン力学的世界像がなければ、電磁気学、相対論、量子論、熱力学、統計力学、いずれも誕生することはなかった。 ここから、ニュートン力学とその後の物理学、特に現代の自然科学の根幹をなす量子論とを繋ぐ理論的な道具立てが必要であることが分かる。それがなければ、いまだに私たちはニュートン力学の世界に閉じ籠ったままだった。 この媒介者が解析力学だ。ラグランジュ、オイラー、ハミルトンなど錚々たる天才数学者兼物理学者、彼らの活躍で、現代物理の最先端と、最先端から遠く離れながらも、その最先端を可能として、それを今でも支えているニュートン力学を繋ぐことが可能となった。 解析力学の解説を行うことはできないが、ごく簡単に言えば、ニュートン力学では質量を除いて、変化する物理量(粒子の位置、速度、加速度、力など)が理論の中心で、その変化していく様を、方程式を解き予測することが理論の骨子となっているのに対して、解析力学では、ラグランジュ関数、ハミルトン関数など、エネルギーや運動量、角運動量など保存量と密接に関連する物理量が理論の中心に位置し、大域的な運動の構造を明らかにすることが理論の骨子となっている。そして、保存量と大域的な構造を捉えることを核心とすることで、解析力学は、出発点こそニュートン力学(つまりラグランジュ関数からニュートンの方程式を導き出すこと)だったものの、その後登場する諸理論、電磁気学、相対論、量子論、(統計的な手法の追加が必要となるが)熱力学と統計力学など、あらゆる物理理論を包含する体系となった(注)。 (注)その結果、解析力学では、微分幾何学、代数幾何学、多様体など高度な数学を駆使する必要が生じ、数学の革新を促した。また、このような数学の革新こそが、現代物理学の誕生を可能とした。 ここに解析力学の偉大なる業績がある。解析力学の開拓者たち、ラグランジュ、オイラー、ハミルトンたちの名は、ニュートン、マックスウェル、ボルツマン、アインシュタイン、ハイゼンベルなどと比較して、あまり世間では知られていない。しかし、彼らの業績なしには現代物理学はなく、物理学を基礎とする現代の自然科学と科学技術もなかった。そのことを考えると解析力学の価値の巨大さがはっきりする。「物理学とは何か」と問われて「解析力学」と答えても強ち間違いではない。事実、解析力学に全ての物理理論を包含することもできる。 解析力学なしでは現代物理学は存在しない。現代物理学なしには現代科学はない。科学の存在価値が極めて大きい現代、そこに生きる者として、解析力学の創始者たちにもっと敬意を表するべきだと思う。 了
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