☆ 物理学の現状と未来 ☆

井出 薫

※物理学は、素粒子論、宇宙物理学など基礎的な分野と、私たちの日ごろの生活や産業活動で取り扱う様々な物質の性質や、摩擦の存在する私たちの周囲の現実的な時空間での運動を具体的に研究する応用物理学的な側面の強い分野の二分野がある。本稿では、専ら前者の意味で「物理学」を論じる。従って後者の物理学に関しては本稿の議論は妥当しない。

 量子論と相対論という20世紀の物理学革命からまだ100年も経過していないが、その間に物理学は巨大な進歩を遂げた。しかし、その一方で曲がり角に差し掛かっている。

 今年はヒッグス粒子の発見で大いに沸き立った。では次は何か。多くの理論家たちは超対称性粒子の発見に期待している。宇宙の質量の大部分を占めるダークマターの候補と言われるアクシオンも注目を集めている。

 素粒子は二つのグループに分かれる。2分の1のスピンを持つ電子のように半整数スピンでフェルミ統計に従う物質を構成する素粒子と、それらの素粒子間の相互作用を媒介する整数スピンでボーズ統計に従う素粒子、この二つだ。相互作用には重力相互作用、電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用の4種類あるが、4つの相互作用は宇宙誕生のときには一つの相互作用に統一されており、それが宇宙の進化に伴い温度が下がり次々と分岐し4つの相互作用になったと推測される。しかし、この分岐点が大きく異なることが理論的に上手く説明が付かない。それを上手く説明する理論として考案されたのが超対称性だ。超対称性とは、先に述べたフェルミ粒子とボーズ粒子の間に存在すると想定される対称性で、たとえばスピン2分の1の電子に対応して、スピン0のスカラー電子が存在するとされる。超対称性理論は多くの理論家から支持され、その拡張版とも言える超弦理論は森羅万象を説明する究極理論として期待されている。しかし、現時点では超対称性粒子の存在は確認されておらず、超対称性理論は仮説に留まる。超対称性粒子はヒッグス粒子を上回る静止質量を持つと推測され(さもなければヒッグス粒子よりも先に発見されているはず)、より高エネルギーの衝突で発見されると期待されるが、ヒッグス粒子を発見したCERNのLHCで到達できるエネルギー範囲内に存在するかどうかは定かではなく、より巨大な素粒子加速器が必要となる可能性が高い。

 アクシオンは、強い相互作用(クォーク間の相互作用でグルーオンというボーズ粒子により媒介される相互作用)のCP対称性の破れが極めて小さいことを説明するために導入された素粒子で、こちらも現時点では存在が確認されていない。ただし、こちらは超対称性粒子と異なり、電子の1億分の1以下という極めて小さな静止質量を持つと推定されており、巨大加速器とは別の手法で発見する必要がある。

 ところで、カミオカンデのニュートリノ、LHCのヒッグス粒子、将来発見が期待される超対称性粒子やアクシオンなど、いずれも、それ自体を直接確認できる訳ではない。ニュートリノやヒッグス粒子が存在したら理論的に生起すると推測される素粒子の反応による生成物が発見されたに過ぎない。ニュートリノとヒッグス粒子では、生成された光子がその証拠とされた。つまり、ニュートリノも、ヒッグス粒子も、ワインバーグ・サラム理論と量子色力学を含む場の量子論が正しいことを前提にして初めてその存在が正当化される。もしこれらの理論が間違いだったら、これまでの発見は見当違いだったということになる。

 しかし、場の量子論は前世紀の20年代末に誕生して以来、多くの改良がなされ現代に至っている理論で、多くの実験・観測で驚異的とも言える精度で正しさが立証されており、信憑性は極めて高い。とは言え、巨大加速器から生み出されるデータや宇宙誕生の初期のデータなど、近年、その理論を立証する証拠は極めて限られたものとなっている。それゆえ、現在の理論とは全く異なる理論でも、これまでのあらゆる実験データを説明できる可能性がない訳ではない。勿論、そう考える理論物理学者はほとんどいない。だが、専門家の意見は絶対ではない。そもそも、理論が余りにも数学的に高度化・複雑化したこともあり、最先端の理論を正確に理解している実験家はいないと言われ、その一方で、実験装置の巨大化・複雑化・制御の困難さなども手伝い理論家は実験・観測のことはほとんど知らないのが実情だとされている。それゆえ、如何に精密で合理的な理論だとしても、理論の正当性にまったく疑問がない訳ではない。

 さらに、実験・観測に要する費用が余りにも膨大になっていることで、今後の研究に支障を来す可能性が強い。最初は役立たないと思われた発見が、いつか必ず役立つ日が来るというのがこの巨大科学の推進を支持する物理学者や評論家の謳い文句だが、ヒッグス粒子や超対称性粒子が日常生活や産業活動に役立つ日が来る可能性はほとんどない。それ以前に人類が滅ぶ可能性の方が遥かに高い。そうなると人々は莫大な資金を投じることにやがて疑問を持つようになり、研究は困難となる。そうなると物理学はいずれ数学とほとんど変わらない学問、数学の一分野となる可能性もある。実際、超弦理論やその拡張版とも言えるM理論やDブレーンなどは、専ら数学的整合性を頼りに、その妥当性が主張されている。一部の学者は既存のデータを整合的に説明できることから実験的に実証されていると言ってよいと主張するが、実験データとの整合性だけならば、それを説明できる他の理論は幾らでもあり説得力に乏しい。

 物理学は最も基礎的な学問領域であることは誰もが認める。化学、生物学、地質学、天文学、医学、工学、これらの分野は全て物理学の原理や理論を基礎としている。それゆえ、物理学の中でも(本稿で論じてきた)基礎的な分野は、全自然科学の究極的な土台を確立しようとする優れた試みであることは間違いない。しかし、いずれ、これ以上遣っても実りある成果はでないという地点に達し、数学に道を譲るという時代が来るように思われる。

 但し、最初に注意したとおり、物理学には、より現実的・実用的な応用物理学の広大な領域が存在する。そこでの進歩はこれからますます加速していくことが期待できる。科学研究の重要性は論を俟たないが、資金には限りがある。何に投資をすることが賢明なのか、それをよく考えるべき時が来ている。


(H24/9/18記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.