☆ 生命 ☆

井出 薫

 近代は物理学の時代と言ってよい。化学反応や生命現象は物理学の基礎原理から直接導くことはできないが、それは原理的にできないのではなく技術的にできないにすぎないと考えられている。経済や政治なども物理学的な手法で解明できると考える者もいる。単純な物理主義(すべては物理学に還元されるという考え)は否定されているが、物理学の基礎原理こそが森羅万象の究極法則とされ、現在は超弦理論がその有力候補とされている。

 このような物理学至上主義の背景は何か。物理法則ほど現代文明に役立っているものはない。周囲を見渡しても、生物を含めて、悉く物理学の恩恵を被っている。この現実が物理学への深い信頼と尊敬の念を呼び起こす。物理学が非常に合理的で明快だということも、現実主義的な現代人の感覚にフィットする。ハイデガーの「存在と時間」とアインシュタインの相対論は同じくらい難解だが、相対論の方が明快であることは誰でも分かる。実際、きちんと勉強をすれば相対論は誰でも理解でき、その正しさを認識することができる。ハイデガーの哲学は、勉強しても、分かった振りをすることはできるようになるが、本当に理解したと言えるかどうかは怪しい。しかもハイデガーが正しいかどうかを判断する基準がない。

 しかし物理学には明らかな限界がある。それは「生命が何であるか」を、物理学が明らかにすることができないところにある。岩石、人間、コンピュータ、いずれも物理学的な系の一例として考えることができる。その意味で物理学は普遍的だ。しかし生命があると言えるのは(現代人の感覚では)人間に限られる。では、物理学は人間だけが生命を持つという主張が正しいことを証明できるか、あるいは根拠付けることができるか。できない。物理学並びにそれを駆使する生物学は、生命と呼ばれる現象の特徴を物理学的に説明し、予測することはできるが、何が生命で、何が生命ではないかを決めることはできない。

 つまり「生命」という概念は物理学の外部から導入されている。外部から導入された生命概念の下に、特定の物理系(生物と呼ばれる)の特徴を探る、これが生命に対して物理学が出来る唯一のことだ。人間にとって、生命ほど重要なものはないから、物理学の限界は明らかと言わなくてはならない。

 それでは、「生命」とは何か、それが物理学から導出できないのであれば、どこからその概念は生まれてくるのか。それこそ哲学の究極の任務なのだと哲学者は言うかもしれない。しかし、それは違う。確かに哲学は物理学よりも、「生命という概念」についてより深い考察をしてきたかもしれない。しかし、それは抽象的な概念分析に留まっている。ウィトゲンシュタイン流の表現を使えば、哲学にできることは「生命」という言葉の使用を調べることだけだということになる。物理学から生命という概念が導き出せないように、哲学からも導き出せない。哲学史において「生命概念」がどのような変遷を辿ったか調べることはできるが、そこから妥当な「生命」概念を導くことはできない。しかも、「生命」とは現実に在る、極めて現実的な、それ以上に現実的なものはないと言ってもよい存在だから、生命概念を理解しただけでは生命を理解したことにはならない。生命とは理論に還元することができないものと言ってもよい。

 倫理は生命と密接に関連する。生命に対する眼差しを欠いた倫理など倫理ではない。それゆえ生命が理論に還元できないとすれば、倫理もまた理論に還元できないものとなる。倫理は実践だ、語りえぬことだと言われることがあるが、確かに一理ある。

 物理学至上主義と資本主義は決して同一物ではないが、よく似たところがある。両者は、人間による世界支配の可能性とそれへの欲望を共有している。また、物理学の目覚ましい発展が資本主義の興隆を可能としたことも見逃せない。資本主義は決して悪いシステムと言う訳ではなく歴史的必然の下で登場している。それでもいつまでもそれが支配することができるとも、それが良いことだとも言えない。いずれ克服しなくてならない歴史的な中間点に過ぎないとみるべきだろう。資本主義が生命を含めたすべての存在を商品化(貨幣と交換可能なモノ化)していくシステムであることを思い起こす時、「生命」とそれへの眼差しこそ、物理学至上主義へ抵抗するだけではなく、資本主義に抵抗するものであることが分かる。

 生命ほど身近なものはない。ところが同時に生命ほど不可解なものはない。(基礎原理にすべてを還元する)物理学や(利潤追求を動機とする)資本主義のような明快さは生命にはない。そのような生命の特徴を忘れることなく、それを見ること、それが今一番大切なことだろう。

(注)物理学には、複雑系やネットワーク理論、カオスの理論など全体論的な手法が含まれており、全てを基礎原理に還元しようとする還元論的な学問ではないとの反論があろう。しかし、それでも、物理学が「基礎原理」を求め、そこに問題を帰着させようとする学問であることは、複雑系やネットワーク、カオス、フラクタルなどを考慮に入れても、変わることはない。そして、だからこそ物理学は強力で極めて有益な学問なのだ。本稿は物理学や還元論的な手法を否定することを目的とするものではなく、それが全てではないということを示そうとしているに過ぎない。


(H24/8/25記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.