☆ 長距離力と短距離力 ☆

井出 薫

 核エネルギーは、馴染み深い重力や電磁気力と違い、強い相互作用を利用した技術だから人間の手に余ると書いた。そのことをもう少し詳しく説明したい。

 重力と電磁気力は、逆2乗則に従う。つまり距離の2乗に比例して弱くなる。一方、球の表面積は距離の2乗に比例して大きくなる。従って中心に陽子一個を置くと、重力と電気力は、中心からどんなに距離が離れても、球面上で面積分すると、距離に関わりなく同じ値をとる。このような力は長距離力と呼ばれる。重力と電磁気力はこの長距離力なので、遥か彼方(地球のスケールは勿論のこと、宇宙論的なスケール)までその影響が及ぶ。だからこそ、素粒子のミクロな世界と比較して、マクロな世界の住人である人間でも、重力と電磁気力は十分に制御できる。人間が使う道具はマクロな大きさを持ち、そこにはアドガドロ数レベルの膨大な数の原子(原子核と電子)や分子(原子の結合体)が含まれている。だから、マクロな距離からミクロな世界を精密に制御できる。距離が離れていても、操作する道具を大きくすることで、その力を十分に利用することができるからだ。

 一方、強い相互作用(並びに弱い相互作用)ではそうは行かない。この二つの力は逆二乗則よりも遥かに急速に弱くなる(注)。ナノテクノロジーが話題になっているが、この二つの力はナノどころか、ナノよりも1万分の1以上短い距離にしか到達しない。ナノのオーダでも、球面上で強い力を面積分したら限りなく0に近い値にしかならない。それゆえ、強い相互作用に基づく核力を制御することはできず、全ては成り行きに任せるしかない。短距離力に基づく核エネルギーは人間の制御可能な範囲を超えているとはこのことを意味する。
(注)厳密に言うと、強い相互作用は、クォーク同士の相互作用でグルーオンという素粒子が媒介する。このグルーオンが媒介する力は「漸近的自由」と呼ばれるクォーク同士が近づくと弱くなるという奇妙な性質を持つ。しかしながら、原子核内の陽子、中性子の結合を説明する核力モデル(π中間子が媒介して原子核を安定させる)では、核力は短距離力として現れる。

 もう少し詳しく説明しよう。短距離力である核エネルギーは、原子核内の陽子・陽子、陽子・中性子、中性子・中性子間の距離レベルでしか作用しない。つまり核エネルギーを自由に制御するには、原子核内の構成要素間の距離まで接近しなくてはいけない。だが、それは、原子分子の集合体というマクロな存在である人類には絶対に不可能なのだ。原子のレベルならば、最先端技術を使うことで、原子1個の単位で制御することもできる。しかし、それが可能なのは、電磁相互作用という逆二乗則に従う長距離力を使うことができるからだ。ところが、核力の制御、つまり原子核内の陽子、中性子の制御には、長距離力は使えない。だから原子核の制御は不可能になる。化学物質と化学反応は電磁気力という長距離力の世界に属するから、どんな有害な化学物質でも、手間と時間とお金を掛ければ無害化する方法がある。一方、核エネルギーの世界は短距離力の世界に属するから、有害な放射性物質は自然に無害化するまで天文学的な時間待つしかない。

 核エネルギーは確かに効率的なエネルギー源ではある。しかし短距離力という人間の制御可能性を超えた世界に属する核を利用する企ては、やはり無謀と言わなくてはならない。


(H23/5/16記)


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