☆ 社会現象と自然科学 ☆

井出 薫

 社会現象を自然科学的なモデルで解明する試みはコンピュータの進歩と普及で急速に進んでいる。1月20日付のネイチャー誌では、生態学のモデルを使った金融危機分析が紹介されている。しかし、このような試みは本当に実りあるものなのだろうか。

 社会現象は自然現象とは全く異質で自然科学的な方法の応用には限界があると指摘してきたが、多くの社会現象に統計的な規則性があることは事実であり、数学の利用が有益であることは論をまたない。しかし、どのようなモデルを活用するか、限界はどこにあるのかという極めて重要で難しい課題がそこには横たわっている。ネイチャー誌でも生態学のモデルを活用した研究の意義には賛否両論があると指摘されている。どのような自然科学的モデルが有効か判断することは容易ではない。

 数学が有効であることは間違いない。だが数学は基本的に手段に過ぎず実りある議論を展開するには、物理学、化学、生物学、生態学、情報科学など様々な領域から適切なモデルを選択してくることが必要となる。ここで選択するモデルで成果は大きく変わってくる。どのようなモデルでも基本的には応用可能だが、的外れなモデルを用いると、たとえ数学的に興味深い結果が得られても実用にはならない。

 物理学はその美しさと理論の普遍性で常に人々を魅了し、経済学などでは物理学的モデルを援用することが少なくないが、物理学が保存量と(保存量と関連する)対称性の存在を基礎としているのに対して、社会現象には理論の指針となるような保存量と対称性は見当たらない。保存量と対称性を表現する数学たとえば群論や変分論などを社会現象解明の手段として使うことはできるが、物理学的なモデルは社会科学においてはさほど有望だとは思えない。生態学的なモデルは社会現象が集団の行動として露わになることから物理学的モデルよりも有力だと考えるが、理念を掲げ生物学的には必ずしも合理的とは思えない行動を頻繁に取る人間集団を、自然生態系と対比することの有効性には疑問が残る。また人間社会において極めて重要な意味を持つ法など諸々の制度と理念をどのように考えるかが難しい。いずれにしろ有益なモデルは課題によって異なり、モデルが有効である範囲もその都度異なると考えるべきだろう。

 自然科学的モデルの限界は上の考察からも明らかだ。社会現象は、理念や法制度などを参照して「因果的な原因」ではなく「理由」により説明される。そのため、社会現象は物理学的な因果連関が重要となる自然科学的モデルとは大きな開きがある。数学的な手法の有効性という観点から自然科学的モデルが研究には有益であるが、それだけでは社会現象の本質は数字の中に埋もれてしまう。現代経済学が高度な数学を駆使して壮麗な体系を構築しても、それだけでは的確な予測はできないし、行動規範を見いだすこともできない。

 自然科学と社会科学の学際的研究は有益だが、社会現象に対して物理学のような厳密で普遍的な体系を構築することはできない。両者の共通性に着目しながらも、その差異は解消できないことを肝に銘じておく必要がある。


(H23/1/27記)


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