☆ 宇宙と人間 ☆

井出 薫

 新年くらいは気宇壮大にということで、素人ながら宇宙のことを考えてみた。

 宇宙の年齢は137億年。宇宙の幾何学的構造はほぼ曲率0の平坦な時空。宇宙の組成は、4%が原子分子を構成する陽子、中性子、電子などのごくありふれた素粒子で、その他に未知のダークマターが23%、残りはやはり未知のダークエネルギーが73%を占める。宇宙は無数の銀河からなり、銀河の中心には巨大なブラックホールが存在する。宇宙全体からみれば無限小に過ぎない人間がここまで認識しているというのは凄いことだ。それもここ30年くらいの間の観測、理論両面での進歩が目覚ましい。私の学生時代はビックバン宇宙論自体が本当に正しいのかどうか疑問視され、最も古い恒星の年齢が宇宙の年齢よりも古いと推測され大きな謎とされていた(その後、恒星の年齢が修正され矛盾は解消)。また理論面でも当時は超対称性、超弦理論、インフレーション宇宙論など今では広く支持されている理論が存在しなかった。

 勿論、多くの謎が残っており宇宙全体を理解できるところまで達しているとは言えない。最大の謎は、ダークマターとダークエネルギーの正体で、ダークマターについてはアクシオンや超対称性粒子など候補が幾つか挙げられているが、まだ確固たる証拠が無い。ダークエネルギーはほとんどその正体が分かっていない。さらに137億年前に宇宙が誕生した原因は、理論が無いわけではないが、SFの域を出ていない。銀河形成のメカニズムも、銀河の中心にブラックホールが出来た原因も解明されていない。とは言え、私たちの認識が非常に高い次元まで到達していることは間違いない。

 ところで、私たちはどこまで宇宙を理解したと言えるのだろうか。物理学者の目からすれば、非常に多くの疑問が解決されたと言えるだろうが、物理学者ではない者からすれば、多くの疑問が残る。

 時間とは何か、これは人類誕生以来の謎で、古典力学、相対論、量子論、統計力学などで一定の答えは得られているが、謎が解けた訳ではない。寧ろ、時間というものに対する私たちの素朴な直観があり、それを解析学や幾何学を援用して数学化したのが物理学の時間概念で、最新の理論でもこの時間概念が解明できた訳ではなく、ただ精緻になっただけと見るのが正しい。つまり時間は物理学の説明対象と言うよりも、物理学の前提だと言ってよい。このことは空間についても成り立ち、やはり物理学が空間を説明すると言うよりも、物理学が素朴な空間概念の上に(数学を経由して)成立していると見るのが妥当だ。他にも、「観測(測定)」、「実験」などについても、物理学の前提となる様々な概念があり、物理学の発展で理論が精緻になっても、それ自身は物理学によっては説明できない概念や領域がいつまで経ってもなくなることはない。

 では、これらの残された謎は誰がどのようにして解明することができるのだろう。哲学者ならば、ここにこそ「哲学」固有の課題、物理学など諸学の超越論的基礎を解明する哲学の課題があると言うかもしれない。近代化以降、個別科学に押されているとは言え、哲学は決して無用の学となったのではなく、物事の根源を探るという仕事が哲学に残されており、これは他の如何なる学問でも解決できない課題なのだと哲学に興味を持つ者は考えたくなる。しかし残念ながら?このような考えはもはや成り立たない。哲学は概念分析(又は言語分析)や、他の学問分野や一般市民の常識を批判的に分析し、(例えばクーンのパラダイム論などのように)物理学など個別科学の盲点を明るみに出すという点で一定の存在意義があるものの、他の学問の基礎を解明することなど望むべくもない。そういうことが不可能であることは、偉大な哲学者たちの足跡そのものが雄弁に物語っている。ヘーゲルの壮大な哲学体系はそれ自身としては現実の無力な影に過ぎなかった。ハイデガーの(古代ギリシャ以来の)存在了解の根源的な転回というプログラムは決して成就しない(事実、ハイデガー自身により放棄された)。哲学はただ(大抵は大して役立たない)分析のツールとしてしか機能しない。特に宇宙論のような分野ではそれが顕著になる。

 では、時間、空間、測定、実験などを解明することは不可能なのだろうか。おそらくその通りだろう。これらは結局「言葉」に過ぎない。これらの言葉で語られる何かが確かに存在するとは言える。だが、言葉で語られる何かで宇宙の全てを映し出すことが出来ると考えることにそもそも無理がある。物理学は宇宙の多くの謎を解明した。これからも続々と新発見がなされ、私たちの度肝を抜き、また私たちに楽しみを与えてくれるはずだ。しかし物理学が解き明かすのはあくまでも物理学的宇宙だけで、それ以外の宇宙は物理学の守備範囲ではない。物理学的宇宙以外には宇宙は存在しないと物理学至上主義者ならば反論するかもしれないが、時間や空間に関する錯綜した議論を考えればそれが間違っていることは容易く分かる。宇宙とは人智を超えた神秘を孕みつづける。そもそも宇宙の中で無限小の存在でしかない人間に全てが明らかになると考えるのが間違いなのだ。だが、このことは決して私たちを意気消沈させない。寧ろ、宇宙という素晴らしい舞台が物理学者(あるいは物理学者と哲学者)だけの専有物ではないことを示している。論理的な説得力は欠かせないが、物理学の素人でも宇宙について大いに語ってよい。これは実に痛快なことではないだろうか。


(H23/1/1記)


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