井出 薫
貨幣には表と裏がある。なぜ両面が同じ模様ではいけないのだろう。 占いに使えなくなるからという冗談がある。しかし、この答えは、案外、貨幣の本質を示しているようにも思える。貨幣は古代にはまじないの道具として利用されていた。まじないでは表と裏が非対称であることが本質的な意味をなす。人は明るみに出された表と隠された裏に違いがあることに気が付き、世界を発見した。そして人はこの世界を理解するために、まじないに必要な道具や思想を作り出す。貨幣が道具の一つで、哲学が思想の一つだ。なかでも貨幣は今でもその伝統を引き継いでいる。 紙幣も硬貨も見慣れており驚きは少ないが、表を見ただけでは製造年は分からない。また空中に硬貨を放り投げて表が出るか裏が出るかは予想が付かない。依然として貨幣には表と裏の非対称性に基づく驚きが残されており、それが媒介となって人と世界の距離が維持され、両者の関係が安定する。 貨幣の電子化が進んでいる。電子化された貨幣には表と裏はない。電子化された貨幣は世界を一瞬にして駆け巡り、便利な代わりに思わぬ波乱を呼び覚ます。このことは明るみに出された表と隠された裏が失われていることと関連する。表と裏がないから伝達に制約がない一方で、人はそこに畏れを抱かない。だから迅速で便利だが、制御が利かなくなることがある。 哲学も同じ運命に晒される。プラトン以来の西洋形而上学のように隠された裏を重視するか、ニーチェのように表を重視するかの違いはあっても、表と裏があるということが哲学の土台をなしてきた。ところが個別科学の目覚ましい発展と産業の拡大で、哲学から表と裏が消滅した。しかし表と裏のない哲学は魅力がない。人々は哲学を放棄して恣意的かつ便宜的に科学技術を活用して多くの成果を挙げる一方で、科学技術に振舞わされて多くの災厄に襲われ、生の意味の喪失に苛まれている。 裏と表があるからこそ、世界があり、世界と対峙する人間が存在する。全てを明るみに出し、謎を追放し、便利になれば良いというものではない。隠された裏があってこそ生は充実し共同体には信頼と活気と希望が溢れる。どんなに科学技術が発展しても、コイントスで先攻後攻を決める慣習がなくなることはない。だから貨幣の電子化が進んでも、実物としての貨幣(紙幣と硬貨)を廃止するべきではない。廃止したら人々は世界を喪失し、(言い古された表現だが)産業用の機械部品に転落する。 了
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