☆ トポロジー ☆

井出 薫

 トポロジーという図形など数学的対象の繋がり具合を研究する数学がある。微分積分など解析学と比べると知名度は低いが、最近は、物理学を中心に、解析学に劣らないくらい役立つ数学として勉強する者が増えている。
(注)トポロジー(topology)とは、「位相」と訳され、位相空間論と位相幾何学を含むが、本稿では位相幾何学の意味でトポロジーという言葉を使用する。ウィキペディアなどに簡潔な解説があるので詳細はそちらをご覧いただきたい。

 身長160センチの者が太って50キロから90キロに体重が増えたら大問題だが死ぬことはない。しかし腸閉塞になって放置したら命に関わる。太るのと腸閉塞になるのとどこが違うのだろう。実はトポロジーが違う。太っても人のトポロジーは変わらない。しかし腸閉塞になるとトポロジーが変わる。人は口から肛門まで曲りくねっているが一本の穴が貫通しており、トポロジー的には竹輪と同じ形になる。しかし腸閉塞になると貫通した穴がなくなり球と同じトポロジーになる。腸閉塞が命に関わるのはトポロジーが変わるからだ。

 同じようなことが、物理系、特に相転移に関連した多くの系で知られている。解析学的な手法で長々と計算をしなくてもトポロジーを知ることで、系の性質とその変化、変化しても保存される不変量などを導くことができる。全てを説明することができる究極理論と期待されている超弦理論やM理論はトポロジーなしには理解することができない。

 トポロジーは極めて抽象的な数学であり、同時に、人間の直観的な空間把握能力に全面的に依存する数学だと言うことができる。それは健常者と竹輪、腸閉塞患者と球の同一性から、容易に想像できるだろう。

 数学を論理学の延長として(論理主義)、あるいは純粋な形式的証明論的体系(形式主義又は構造主義)として捉える哲学的立場が20世紀に流行した。そこでは数学は自然科学とは全く異質な学問として整理される。若き日のウィトゲンシュタインに至っては、数学は単なるトートロジーで、そこには驚きは何もないと宣告した。しかし、トポロジーを考えれば、数学が単なる証明や論理ではないことは明らかだ。空間、そして人間の認識能力という客観的な現実を通じてのみ、トポロジーは理解することができる。空間が存在しない世界の住人が、純粋に論理だけで、健康な人間と竹輪を同一だと認識できるはずがない。現実の空間に生きているからこそ、私たちはトポロジーを知ることができる。そして同じことは数学のあらゆる分野に当て嵌まる。勿論、だからと言って数学と物理学は同一だとは言えない。そこに数学の不思議な魅力があり、数者が苦手な者すらも魅了する理由がある。精確な理解は困難を極めるが、考え方の基本を知ることは易しい。数学の魅力の源泉に触れるためにも、一度、トポロジーの本を紐解かれることをお勧めしたい。


(H21/11/21記)


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