☆ 数学と物理学(再論) ☆

井出 薫

 数学と物理学の関係については以前も話題にし、数学が物理学に役立つのは自然という基盤を共有しているからだと指摘した。だが両者の関係はそれほど単純なものではない。

 18世紀後半から19世紀に掛けてラグランジュとハミルトンを中心として解析力学と呼ばれる分野が確立する。当初、物理学的には解析力学はニュートン力学を数学的に洗練したものに過ぎないと考えられた。しかし、解析力学が存在しなかったら、量子論は登場することができなかった。素朴なニュートン力学の定式から量子論へと飛躍することは至難の技で解析力学が存在したからこそ量子論は成立した。だが解析力学の開祖たちには量子論の登場など夢想だにできなかった。

 マックスウェルの電磁方程式はゲージ変換に対して不変で、方程式の解は一意的に決まらない。解を一意的に決めるにはゲージを固定する必要がある。こちらも量子論が登場する以前は数学的な問題に過ぎないと考えられていた。しかし量子論の登場で事態は一変する。ゲージ不変性は、電磁相互作用のみならず、弱い相互作用、強い相互作用、重力相互作用という自然界のすべての物理現象に当て嵌まる普遍的な原理であることが発見される。詳しい説明は省くが、大域的なゲージ不変性を局所化し、ゲージ変換を微分幾何や群論という数学的手法を使って表現することで自然界の相互作用の形式は全て確定する。自然の究極理論として期待されている超弦理論あるいはM理論もこのゲージ理論の延長線上にある。当然のことながら、19世紀の物理学者マックスウェル、知名度では遅れをとるもののニュートンとアインシュタインに優るとも劣らない天才であるマックスウェルその人の驚異的頭脳をもってしても、こういう展開を予測することはできなかった。

 数学の発展における物理学の影響は巨大だが、物理学以外の学問分野に触発され発展した数学が物理学に逆輸入されることも少なくない。カオス理論を含む力学系と呼ばれる数学分野は、マルサスに端を発する人口論、生態学、経済学(静学、動学)、工学、気象学などに刺激を受けて大発展し、今では物理学でも広く利用されるようになっている。物理学で引用されることは余りないが経済行動など社会的行動を説明するためにノイマンが発明したゲームの理論は自然科学でも広く応用されている。

 「数学と物理学の関係を解明する」という課題は、より広く学問全体、さらには社会活動全体の中で考察する必要がある。数学と物理学は自然という基盤を共有すると前回述べたが、それだけでは十分ではない。数学も物理学も人間の脳の産物であること、そして脳の産物とは専ら個人の知力によるものではなく、本質的に社会という土台の上で花開くものであること、この事実に目を向けないと問題の解明はできない。そして、その具体的な方法を展開するのがこれからの課題となる。


(H21/5/6記)


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