☆ 現実世界を超える世界は存在するか ☆

井出 薫

 私たちが直接認識する現実世界を超えた世界は存在するだろうか。プラトンは私たち人間の感覚が捉える世界は真の世界ではなく、イデア界の歪んだ写しに過ぎないと主張した。プラトンのような哲学的議論によるものではないが、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など聖書を重視する宗教では真の世界とは神の世界であり、現世はやがて滅びるものでしかない。

 科学技術が進歩し文明が巨大化した現代、現実主義的になった現代人にはこのような世界を超える世界という観念に賛成する者は少ない。しかし現代物理学が描き出す世界は私たちが感覚で捉える世界とは全く異なっている。10次元時空など、抽象的な数学という言葉の助けを借りないと全く理解できない。ガリレオが自然という書物は数学という言葉で書かれていると語っているが、現代物理学は紛れもないガリレオの申し子だ。

 数学世界は現実世界とは全く異なっている。太さのない線、完全な直線など現実には存在しない。現代解析学と現代幾何学の元祖とも言うべきデカルト座標は、現実世界には存在しない。どこを眺めてみても、空間に座標軸など存在しないし、座標の原点も存在しない。だからこそ私たちの常識を超えて時間と空間を統一した相対論的な4次元時空を考えることができれば、超弦理論やM理論の10次元時空あるいは11次元時空、さらにはDブレーンなどという奇妙な空間を考えることもできる。また、フーリエ展開などでお馴染みの直交関数が織りなす無限次元の空間を考えることができ、これは量子論を展開する上で欠かせない道具となっている。このように数学は現実の世界とは異質であるがゆえに、却って、様々な分野で様々な使い方が可能となり、科学の進歩に絶大なる貢献をなすことになる。

 だとすると真理を究極的な目標とする学問一般の最も重要な道具である数学世界は現実世界を超えたものだということになる。どうやってそれが可能となるのか誰も分からないが、人間は数学世界から道具を借りて現実世界を分析し体系化する。この体系化された世界は数学世界の道具で構成されるから現実世界を超えている。こうして全ての学的な世界は現実世界を超えていることになる。そして学問こそ真実を明らかにするものなのだから、私たちが感覚を通じて捉えることができる現実世界を超えた真実の世界が存在することになる。

 だがこのような考えに人々は同意するだろうか。現代人の多くは、そして高度な数学を駆使する理論物理学者も、このような考えを支持しないだろう。現実を超えた世界など存在せず、私たちが相手にすることができるのはこの現実世界だけなのだというのが現代人の常識だ。だがその常識を支えている科学そのものが、この常識が必ずしも正しいとは言えないことを物語っている。18世紀以降、哲学者はこのパラドックスを解決しようと苦闘してきたが満足のいく答えは得られていない。これはウィトゲンシュタインが示唆したとおり、答えを得ることはできない問題なのかもしれない。だが、好奇心の塊で、そのことでその存在が特徴づけられると言っても過言ではない人間は、「本当の世界は何か」と問わずにはいられない。だが、この問いを発した途端に、解決しがたい難問に突き当たる。ここでは私の見解を述べることは差し控えておきたい。ただ問題が深刻であり、かつ重要であることを認識して頂きたいと思う。哲学的な探究はけっして無意味なものではない。

(H21/2/13記)


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