☆ 「種の起源」150周年 ☆

井出 薫

 来年はダーウィンの「種の起源」が出版されてから150年目になる。ダーウィンの進化論はすでに現代人の常識の一部となっているが、それでもダーウィンの進化論を誤解している人が少なくない。そこで150周年を前に「種の起源」の根本思想をもう一度おさらいしておこう。

 偶発的な突然変異と自然選択により、ごく僅かな種類の微生物から多様な種が進化し現在の複雑な生態系を形作ることがなったというのがダーウィン進化論の骨子だ。これにより天地創造説と獲得形質が遺伝し進化するというラマルク説が同時に否定され、生物進化と種の多様性は純粋に自然科学で理解できるものとなる。まさにダーウィンの進化論は生物科学の枠組みを決定したと言ってよく、科学史においてダーウィンはニュートンと並ぶ比類なき存在として燦然と輝いている。
(注)但しダーウィンの時代には遺伝子の正体は不明でメンデルの法則すら知られていなかったため、ダーウィンは獲得形質の遺伝を完全に否定することはできなかった。獲得形質の遺伝が完全に否定されるのは20世紀に入ってからになる。

 しかし獲得形質の遺伝というラマルクの考えは魅力的で今でもダーウィン説とラマルク説を混同している人が少なくない。以前も論じたが、医療で問題となる耐性菌は薬剤が存在するから生まれるのではなく、薬剤が存在する環境において生存に有利だから繁殖するに過ぎない。薬剤が存在しない環境でも一定の確率で突然変異により耐性菌が生まれるが、薬剤耐性能力が役立たないため増えることはない。つまりダーウィン説に立てば、耐性菌が増えるのは偶然に生じた突然変異と薬剤が存在することによる自然選択の結果であり、病原菌が自主的に耐性能力を獲得するのではないことになる。そしてそのことは実験的にも理論的にも証明されている。

 自然選択説は循環論法で無意味だと批判する者がいる。「自然選択で生き残るのは誰だ?→適者だ」、「適者とは誰か?→自然選択で生き残る者のことだ」自然選択説はこういう循環論法だと批判者は主張する。だがこれは全くの誤解に過ぎない。自然選択説は、変異体と原型との間で環境への適応度に差があるということを指摘する。大多数の事例で突然変異は有害で変異体は適応度が低く生き残ることはない。しかし、ごく僅かではあるが有利な突然変異が生じそれが生き残り新種となることがある。また(「種の起源」では明記されていないが)中立な変異体が確率的浮動で生き残り新種となることもある。適応度の差は環境により異なり、任意の突然変異を一意的に有利か不利か中立か決めることはできない。耐性菌は薬剤が存在しない環境では通常は不利な変異体であり増えることはない。しかし薬剤が存在する環境では圧倒的に有利な立場を得て増殖し新種となる。こうして環境の多様性と連動して種の多様性が拡大する。このようにダーウィンの進化論を正しく理解すれば、それが無意味な循環論法だという批判は全くの的外れであることは明白だ。またダーウィン説が種の多様性を説明する上で極めて有効、いや、唯一の科学的な理論的枠組みであることも明らかになる。

 こうしてダーウィンが「種の起源」で主張した進化論は現代科学の揺るぎない基盤となっている。だが同時に解決されていないたくさんの謎も残されている。一つは何故斯くも多様な種が存在しているのかという謎だ。特に種数が多いのが昆虫で未知の種を含めると少なくとも800万種類はいると言われている。なぜこれほど多数の種が誕生したのか。最初の生命誕生は岩石に残されている証拠などから38億年から40億年くらい前だと推測されている。この長い歴史は現在の膨大な数の種を生み出すのに十分な時間だったという考えがあるが、単純な計算ではこの程度の時間ではこれほどの多様な種は生じない。突然変異は遺伝子の正体が解明された20世紀中盤に考えられていたよりも遥かに頻繁に起きること、一定の条件下では進化が急速に進むことが分かってきた。だが現代生物学の知見では種の多様性を異論の余地がないほどに完全に説明できるとは言えない。つまり種の多様性は未解決の問題に留まっている。さらに口の大きさや形が変わるような小進化を説明することは難しくないが、海洋生物が陸上生物に進化したり、空を飛ぶことができる鳥類に進化したりする大進化がどのように起きるのかも、研究の進展は目覚しいとは言え、まだ解決されて課題の一つだ。ダーウィンは自説では目の誕生を説明することが難しいことを自覚していた。完成した目は確かに素晴らしい器官だが進化途上の中途半端な目は何の役にも立たない。そのようなものは本来淘汰されて生き残らないはずなのに、なぜ目が生まれたのか。この点についてはかなり研究が進んだが、それでも完全な解決には至っていない。

 このように未解決な問題が多くの残されているために、現代の創造説とでも言うべきインテリジェントデザイン説つまり超知性を持つ生物種の設計者が存在するという説がアメリカなどでは人々の間でかなりの勢力を維持している。インテリジェントデザイン説は具体的な課題に対して何も具体的な説明を与えることができないし、それを支持する証拠もない。しかしながら生物科学の現状を見る限り、インテリジェントデザイン説を一蹴できるほど研究が進んでいるとは言えない。だからインテリジェントデザイン説とダーウィン説の論争にはある意味でイデオロギー的対立という面がある。

 だが未解決の問題が多数残っているとは言え研究は着実に進んでおり、ダーウィン説を疑わせるような事実は存在しない。ダーウィンが「種の起源」で主張した個々の論点には間違いや不正確な点があったとしても、変異と自然選択という枠組み自体は揺るぐことはない。この枠組みに沿って研究開発を行うことで、生物科学は大成功を収め、その成果が産業、医療、日常生活で大規模に活用されている。この明白な事実を鑑みるとき、ダーウィン説に否定的な立場をとるのは賢明な選択とは言えない。ガリレオやニュートンが提唱した数学という言葉で書かれた物理世界という科学的枠組みを私たちが決して捨てることができないように、ダーウィン説も捨てるわけにはいかない。150周年を前にこの偉大なる著作とその著者に感謝と敬意を表することが(たとえ宗教の熱心な信者であったとしても)現代人にとって相応しい振る舞いだと言えよう。


(H20/12/28記)


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