☆ 超弦理論は正しい理論か? ☆

井出 薫

 究極の物理理論、既存の全ての物理理論を包含し森羅万象を説明しうる理論として、超弦理論やその発展形とも言えるM理論が多くの理論物理学者から支持を受けるようになってきた。この分野で大活躍している女性物理学者リサ・ランドール氏の本も売れ行き好調で一般読者の注目も高まっている。

 だが、その一方で、超弦理論に懐疑的な声も少なくなく、こちらも一連の超弦理論批判(正確に言うとその狙いは超弦理論を究極理論だと宣言する者たちへの批判)の本が次々と翻訳され、こちらも一寸した話題になっている。果たして超弦理論は本当に究極の物理理論なのだろうか。

 批判者の意見は様々だが、批判の的となっているのは、超弦理論が実験や観測で正しさが検証されていないにも拘わらず数学的な整合性だけで正しい理論だと宣伝されている点だ。批判者に言わせれば、検証されていないどころか超弦理論は検証可能な予言をすることすらできない。物理学は数学とは違い、理論的な整合性だけでは正しいとは言えない。実験や観測で正しさが証明されない限り、それは究極理論の一候補に過ぎないと言うのが批判者たちの主張で、確かに一理ある。アインシュタインの一般相対論は、太陽の重力で光が曲がるという理論的な予測が日食の観測で確認されたとき初めて広く物理学者たちに支持されるようになった。ところが数学的な美しさで物理学者や物理学愛好家を魅了している点ではよく似ているものの、超弦理論は一般相対論のような実験や観測に基づく証拠がない。

 では、超弦理論を究極理論だと考える根拠はなく、単なる流行りの理論に過ぎないのだろうか。多くの物理学者はそうではないと考えている。

 宇宙論の分野でも同じような時期があった。今や宇宙モデルの標準理論となったインフレーション宇宙論(膨張が加速されると考えるビックバン宇宙論)も当初は、これと言った証拠はなかった。インフレーション宇宙論が登場した背景には、当時のビックバン宇宙論では説明できない謎が幾つかあったことが挙げられる。なぜ宇宙は限りなく平坦(=曲率0)なのか、宇宙の背景輻射はなぜ等方なのか、磁気単極子がなぜほとんど存在しないのか、この3つの疑問に当時のビックバン理論は答える術がなかった。物理学者たちは頭を悩ませ答えを探した。偶然そうなったと言うのが一つの答えであったが、それは余りにも確率の低いありえない偶然だった。ビックバン宇宙論から導出される無数の解のほとんどが、宇宙は平坦からほど遠く(=正または負の大きな曲率を持つ)、宇宙の背景輻射は非等方で、磁気単極子が豊富に存在することを示している。だから、現実の宇宙はほぼ確率ゼロの偶然により生じたことになる。しかし、合理的な説明を重んじる物理学者たちはこのようなご都合主義的な解決策には納得しない。そこで80年代前半、これらの疑問に答えるべくインフレーション宇宙論が登場した。しかしインフレーション宇宙論はこの3つの謎を理論的に説明することができるだけで、観測による検証ができず、又インフレーションの原因が不明であり、物理学者や天文学者の間でも懐疑的な見方が強かった。だが現在では宇宙の膨張が加速されていることが観測で証明され、インフレーションの原因については依然として解明されていないものの、検証された理論として広く認められるようになっている。

 相対論的量子論を発見したディラックは「実験データとの一致よりも数学的な美しさが重要だ」と語っている。数学的に美しい理論は、最初は証拠がなくてもいつかは必ずそれを支持する実験や観測結果が現れ正しさが証明されるというのが天才ディラックの信念だった。歴史を紐解くと、数学的に美しい理論が必ずしも常に正しいとは限らない。だが一般相対論が実験や観測結果が積み重なるとともにその正しさが揺るぎないものとなり、複数のライバル理論(余計なパラメータを含み一般相対論ほど数学的に美しくない理論)を打ち破った歴史が示すとおり、数学的に美しい理論はたとえ否定的な実験や観測結果が得られたとしても最終的には正しい理論と認められることが多い。一般相対論も最初はその理論と矛盾した実験・観測結果があり、そこからライバルとなる理論が登場したのだが、結果的には一般相対論が正しいこと、矛盾すると思われた実験・観測結果はデータの不備や解釈に誤りがあったことが証明されている。

 確かに超弦理論は実験や観測で検証されていない。だが実験で正しいことが検証されている弱電磁理論、クォーク理論、そして古典的極限における一般相対論など既存の正しい理論を全てそこから導出できる理論であり、また既存の理論が持つ欠陥、例えば摂動論で物理量を計算すると無限大が出てくるという欠陥を克服する合理的かつ普遍的な理論になっている。それゆえ、単に数学的な美しさだけではなく、間接的に検証済みと言えなくもない。ただ確かにこれは「間接的な証拠」に過ぎず批判者たちが述べているとおり本当の意味での証明にはなっていない。

 おそらく問題とすべきは、正しさが立証されている既存の理論全てを包含し、かつそれらの理論が持つ欠陥を克服することができる理論が超弦理論しかないのかという点だろう。そういう理論が他になければ直接的な証拠がなくても超弦理論は極めて有力な究極理論と言ってよい。この点はまだこれからの課題ではあるが、多くの専門家(数学者も含む)が、他に適当な理論はないだろうと予測している。批判者の中には対抗理論を提案している者もいるが、一般相対論のライバルだった諸理論と同じようにアドホックな仮説が導入されているなど不自然な面が多く、超弦理論に対抗しうる理論とは言えない。

 とは言え、結論が出たと考えるはまだ早い。超弦理論は極めて有力な候補であるが、まだ候補の域を脱していないことを忘れてはならない。それゆえ、それを実証された理論であると語ったり、批判者の声を無視したりすることはできない。これからも実験や観測で理論を検証する方法を探求し、それが見つかれば実験や観測で検証し、他により良い理論がないか研究が必要となる。ただ筆者は最終的には超弦理論の正しさが立証されると予想する。



(H20/6/18記)


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