☆ 生物と環境 ☆

井出 薫

 原始の地球の大気や海中には酸素分子はほとんど存在しなかった。だから地上最初の生物は酸素の存在しない環境で嫌気性生物として誕生した。嫌気性生物にとって強力な酸化作用を持つ酸素は生体高分子を破壊する猛毒物質だ。

 そんな嫌気性生物から光合成をする生物が進化し、さらに光合成の過程で水を分解して酸素分子を作り出すシアノバクテリアが地球に登場する。シアノバクテリアが生成する酸素という環境汚染物質で原始的な生態系は危機に陥った。

 その一方で、大気中に溢れだした酸素はオゾン層を形成し有害な紫外線を遮ることになる。この結果、生物進化が促進され、酸化作用という強力なエネルギー発生機構を活用する生物が誕生する。これが現在の地球生態系の大多数を占める酸素呼吸をする好気性生物の祖先になる。その後生物は進化を続け、陸上植物と海洋の植物性プランクトンを第一生産者として多様多様な種が共存する豊かな生態系が生み出される。

 生物の歴史は生物が環境を破壊する存在であることを示している。時として、生物は環境を侵食して他の種の生存を脅かし自らの生存も危うくする。最初のシアノバクテリアも嫌気性生物で自らが発生する酸素で危険に晒されていた。

 シアノバクテリアと人間は遺伝の分子的機構を除けばまるで似通っていないが、大規模に環境を破壊している点では実によく似ている。いや、シアノバクテリアや人間だけではない。本質的に生物は環境破壊をする傾向を有している。外来種が在来種を駆逐したり、富栄養化した湖沼でアオコが大発生して魚を絶滅に至らしめたりする。

 生態系は通常安定しているが、個々の種や個体には全体の調和に配慮し安定性を維持する機構は備わっていない。異種や異個体が相互に牽制し合うことで全体として調和が保たれる。この相互作用は極めて複雑で、どこか一箇所が破綻しただけで全体に影響が及ぶという脆さを孕んでいる。ちょっとした気候の変化や人為的な生態系擾乱が引き金となって、特定の種が暴走して他の種を絶滅させ最後にはその種自身も滅んでしまうこともある。人類の環境破壊もある意味でこの生物が持つ破壊性の現れだとみることもできる。

 シアノバクテリアが酸素分子という(当時の生物にとって)猛毒物質を発生するようになったとき、生態系を救ったのは突然変異だ。突然変異が生物に酸素の毒性を中和し逆にそれをエネルギー源とするような機構を授け、生物は大進化を遂げることになる。だが人類の活動は余りにも急激に拡大しており、突然変異に期待するには時間が短すぎる。

 生物には、安定した生態系がその存続のために不可欠でありながら、生態系を破壊する傾向を有するというパラドックスが存在する。このパラドックスを解決してきたのが「突然変異」という本質的に偶発的な事象だ。だが、それは本質的に「偶然」であるがゆえに、広い空間と悠久の時とを要請する。短時間で限られた空間で暴発した破壊活動には対処することができない。

 シアノバクテリアが酸素を発生したときには、時間的・空間的余裕が存在した。だからシアノバクテリアは環境問題に取り組む必要はなかった。一方、人類には時間的・空間的な余裕はない。だから人類は環境問題に真剣に悩みその解決策を考案する責務がある。だがそのためにはまず人類と全ての生物が本質的に自然を破壊する傾向を持つことを認識しておくことが不可欠だ。自然への郷愁や生命賛歌だけでは問題の解決にはならない。ある意味生命とは本質的に悪を孕む存在なのだ。



(H20/3/31記)


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