☆ 比較優位の原則 ☆

井出 薫

 サミュエルソンは経済学で最も重要な発見は何かと尋ねられて「比較優位の原則だ」と答えたそうだ。各国(あるいは地域)は自分の得意な分野に専念することが得策だというこの原則は、現代経済学の中心的な思想となっている。

 グローバル経済の進展で、この原則は現実のものとなっている。日本車に乗り、台湾製のパソコンでアメリカ製のプログラムを動かす、今やこれはごく普通の光景だ。世界各国・各地域はそれぞれ得意な分野で人々の生活に貢献している。

 比較優位の原則は、物理学におけるエネルギー保存則に等しい地位にあると言う人もいる。しかし、比較優位の原則はエネルギー保存則のように絶対的なものではない。エネルギー保存則に逆らうことは不可能だが、比較優位の原則に反する経済政策や経営を実行することは容易く、賢明な策であるかどうかは別として実際しばしば実行される。さらに、エネルギー保存則には道徳的な意味はないが、比較優位の原則には道徳的な意味がある。些か単純すぎる見方だが、この原則を徹底すると、比較優位でない事業からは撤退するべきだということになる。だがそうすると比較優位でない事業に従事する者は不利益を蒙る。個人に着目すれば、その事業に従事することがその本人にとっては比較優位なのだが、比較優位の原則はマクロの原理だから個人は切り捨てられる。

 小泉・竹中改革は規制撤廃と行財政の構造改革で比較優位の原則を徹底しようとする試みだったと言える。改革の成果で国際競争力のある企業や業界は利益が増大しマクロレベルでは日本経済は回復した。だがその一方で競争力の乏しい分野や不採算事業は切り捨てられ、地方経済は衰退し、経済格差が拡大した。都会では小泉前首相の人気は依然として高いが、地方では小泉改革への批判の声は小さくない。

 比較優位の原則に従えば、都会は都会が得意なことを遣り、地方は地方が得意なことを遣れば、両者とも豊かになるはずなのだが、経済がグローバル化するとそうはいかなくなる。国が経済的な基礎単位となり、国内ではなく世界的規模の経済圏で比較優位の原則が働くことになるから、一国の中で特定の業界や特定の地域が有利になることは避け難い。地方経済衰退や格差拡大の原因をすべて規制緩和や構造改革に求めるのは誤りだが、少なからぬ影響を与えていることは事実だ。

 国際的にも、比較優位の原則は発展途上国の経済成長を促し貧困を解消することに貢献するよりも、寧ろ貧しい発展途上国の劣悪な生活環境を再生産しているようにみえる。現象的には、発展途上国ではマルクスが告発した状況が依然として続いている。

 マクロの次元で適用される比較優位の原則は、普遍的な原理ではなく、政策立案で参照するべき原理の一つと考えるべきだろう。これを過大評価すると、人は単なる生産と消費の道具と化し、人は目的であることから手段へと貶められることになる。

 比較優位を重要な発見とする経済学は、人文社会科学の諸分野の中で、最も整備された体系を有し、実用性の高さも際立っているが、自然科学における物理学に匹敵するような絶対的な地位を占めるわけではない。経済学の研究と応用では、常に理論の有効性の検証と道徳的な吟味が必要となる。このことをけっして忘れてはならない。

(H19/9/24記)


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