☆ 推移律 ☆

井出 薫

 a〜bかつb〜cならばa〜cが成り立つとき、「〜」で表現される関係は推移律を満たすと言われる。たとえば等式は推移律を満たす。a=bかつb=cならばa=c。また大小関係も同じ。a<bかつb<cならばa<c。自分の好きな食べ物も推移律が成り立つ。焼肉よりも鰻重が好き、鰻重よりも寿司が好きという人は、焼肉よりも寿司が好きだということになる。

 推移律を満たす関係は多いが、どんな関係でも推移律が成り立つわけではない。「じゃんけん」で、グーはチョキに勝ち、パーはグーに勝つ、だがパーはチョキに負ける。だから「じゃんけん」では推移律は成り立たない。人の好き嫌いも同じで推移律は成り立たない。bがaを好きで、かつ、cがbを好きだとしても、cがaを好きだとは限らない。

 人は一般的に推移律が満たされる、満たされないといけないと考えがちだ。ママが子犬のポチを愛していて、パパがママを愛しているのならば、パパもポチを愛さないといけないと言われる。だがパパが犬嫌いだったら如何ともしがたい。首位を独走するチームが他のチームには圧倒的に勝ち越しているのにダントツで最下位のチームに負け越していると文句を言う人がいる。だが、強い・弱いの関係は必ずしも推移律を満たさない。現実の社会に存在する関係は推移律が成立しない(させることもできない)場合が多い。

 経済学に「アローの不可能性定理」と呼ばれる定理があり、「民主的な社会で、全員の意見を集約した最良の政策を選択することは不可能だ」という結論が導かれる。アローの定理に関わりなく、最善の選択をすることは現実的・技術的に困難だが、原理的にも不可能だと言うのは納得がいかない。不可能だとすると、民主制は少なくとも独裁制よりは善い社会体制だと言える根拠がなくなってしまう。

 アローの定理の証明では、各成員が希望する政策の選択順位に関して推移律が仮定されているが、たぶんここに現実との乖離があると思われる。人は周囲の動向に配慮しながら自分の意見を決める。だから推移律を仮定することはできないのではないだろうか。−ただし、このような厚生経済学の数理論理学的研究が現実にどれほどの意義があるのかは疑問だ。−

 いずれにしろ、私たちは「じゃんけん」のような推移律が成立しない遊びを年中しているにも拘わらず、推移律を暗黙のうちに前提してしまうことが多く、諍いのもとになったりする。おそらく人間の脳には推移律を仮定する傾向があるのだろう。だから人と論争するときは、間違って推移律を仮定していないか注意が必要だ。

(H19/9/5記)


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