☆ 見えざる手 ☆

井出 薫

 現代社会において、アダム・スミスの「見えざる手」(注)ほど有名で影響力を持つ言葉はないだろう。スミスの主著「国富論」のたった一箇所に登場するだけのこの言葉は、スミス自身にとっては一寸した気の利いた言い回しに過ぎなかったと思われるが、現代人の思考と行動パターンに決定的な影響を与えている。規制を緩和して自由に生産して自由に交易することが富の増進、生活の向上に繋がることは、共産主義を原則とする中国のような国の人々ですら認めている。
(注)Invisible hand:しばしば「神の見えざる手」と訳される。

 だが、なぜ見えざる手が上手く機能するのか、その理由はよく分からない。だから同時に見えざる手の限界、たとえば貧困、環境破壊、資源浪費、経済戦争など市場経済のマイナス面が生じる理由とその実体も良く分かっていない。

 スミスは、人間には他人に配慮する性質があり、それが見えざる手が働く根拠と考えていたと推察される。人は他人を無視して自分勝手に振舞うことはなく、他人との友好関係を重視する。たとえ自分の利益を追求するときでも、無意識のうちに他人に不利益になるような行動は避ける。だから各人が自由に利益を求めても結果的には全体の利益を増大させる。

 だが、人間はそれほど善良かという疑問は別としても、スミスの主張は、市場が機能する理由の説明としては十分ではない。なぜなら、市場は個人の活動の単純な総和ではなく、個には分割できない全体的なシステムだからだ。

 システムを分析するために、第1次近似として個人の性質と行動様式から出発することは可能であるが、その方法には限界がある。物理学では相互作用のない(仮想的な)物理系で成立する理論を組み立て、それを出発点として相互作用のある(現実的な)物理系を説明する理論を構築する。しかし、この方法は相互作用が小さいときだけ有効で、相互作用が強い系には通常適用できない(注)。市場というシステムは相互作用が強い系と考えるべきであり、独立した個人の集合として社会全体を考えるような立場では十分な解明はできない。
(注)厳密に言えば、物理学では常に相互作用のない理論が利用できる。それは相互作用のない理論から導出されるエネルギー保存則など様々な保存則と(それに対応する)対称性があらゆる自然現象で厳密に成立することに基づく。だが厳密な保存則に類するものが存在しない経済学など社会科学では、物理学のような訳にはいかず、個人から出発する理論は学の基礎とはならない。

 現代経済学は、自由競争の下で各消費者と企業がそれぞれ消費者利得と生産者利得を最大化しようと努めることで、最も効率的な分配が実現され、利潤を得た企業はより多くの利潤を求めて生産を拡大し、社会全体が豊かになると説明する。だが、これは「見えざる手」を数学的に定式化したに過ぎず、「見えざる手」の説明にはなっていない。問題は経済的利得を最適化するように人々を強いるものが何かということなのだ。だが経済学はそれを全く説明していない。人間社会が経済的合理性を追求するのは必然的な本性などではなく、資本主義社会特有の現象に過ぎない。資本主義以前の社会には経済的な合理性より遥かに重要なものが存在した。そして資本主義を超えた時代が到来すれば経済的合理性は二次的な意味しか持たなくなるだろう。現代経済学は成功した学問分野だが、マルクス主義者が主張しているとおり時代的に制約された学問であることは否定できない。

 「見えざる手」それは市場という現代人が崇拝する存在の象徴と言える。だが、その実体はいまだ解明されていない。

(H19/8/19記)


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