☆ 量子論の不思議な世界〜非局所性〜 ☆

井出 薫

 地球からアンドロメダ星雲まで210万光年の距離がある。相対論で真空中の光速が速度の上限であることが分かっているから、どんなに技術が進歩してもアンドロメダ星雲まで往復するには最低でも420万年掛かる。

 ところが量子論によるとアンドロメダ星雲のどこかに暮らす物理学者の観測が、瞬時に地球に影響を及ぼすことがありえる。

 量子論では、物理状態は波動関数で表現される。波動関数は非局所性を持ち地球とアンドロメダ星雲の両方、いや宇宙のすべてが含まれる。

 地球とアンドロメダ星雲の中間点で105万年前に原子がγ崩壊して二つの光子が放出され、一つは地球に向かい、一つのはアンドロメダ星雲の物理学者のもとに向ったとしよう。角運動量保存則に従い、アンドロメダ星雲の物理学者が光子を観測してそれが右回りの円偏波だったら、地球で観測する光子は左回りの円偏波であることが分かるとしよう。常識では、偏波の回転方向は観測する前から決まっていて、観測はただそれを確認するだけだと考えられる。ところが量子論の世界では違う。観測するまで偏波が左回りか右回りかは決まっていない(それぞれ半々の確率を持つ)。だからアンドロメダ星雲の物理学者の観測で初めて地球の観測結果も決まる。210万光年離れたアンドロメダでの観測が地球に影響を与えることになるわけだ。

 どんな短い距離でも到達までに有限の時間が掛かる相対論が局所性という性質を持つのに対して量子論は非局所性という性質を持つ。

 相対論と量子論のどちらが正しいのだろう。実はどちらも正しい。アンドロメダ星雲での観測が瞬時に地球に影響を与えると言っても、地球の観測結果からはアンドロメダ星雲で観測がなされたかどうか分からない。ただもしアンドロメダ星雲で観測をしたら右偏波を観測すると推測できるだけだ。210万年前に情報交換して210万年後にγ崩壊で生じた光子を観測すると決めておかない限り、お互いのことは分からない。だから相対論に矛盾することはない。量子論は非局所的な性質を持つが、情報と情報を運ぶ粒子や場は真空中の光速よりも速く伝わることはないからだ。

 時間・空間の点が確定した意味を持つ相対論よりも、不確定性を有する量子論の方がより厳密で普遍的な理論であることが分かっている。量子論の非局所性と相対論が矛盾しないから問題にはならないが、矛盾していたら相対論を修正しなくてはならないところだった。

 だが、アンドロメダ星雲での観測が地球に瞬時に影響を及ぼすとは何と不思議なことだろう。量子論の世界は、私たちの常識的な世界と決定的に異なっている。

 あらゆる科学技術の分野で量子論は便利な道具として活用されている。理工系の専門家や学生もその不思議な性質に注目することなく、量子論を使って様々な研究開発をしている。半導体の集まりであるコンピュータ、蛍光体や液晶、プラズマなどを使うテレビ、リニアモーターカーなど私たちの身のまわりには量子論の産物が満ち溢れている。ところが量子論の不思議な世界は十分に知られていない。

 確かに知らなくても困らない。専門家ですらそうなのだから、物理の素人にとっては益々縁遠くなるのも無理はない。だが量子論は物理学のみならず、あらゆる学問の中で最も基礎的で最も普遍的な理論だ。たまには、その不思議について思いを寄せることも必要なのではないだろうか。

(H19/6/2記)


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