☆ 芸術と技術の接近 ☆

井出 薫

 20世紀前半、ベンヤミンは、新しい芸術は新しい技術の登場に伴う生産様式の変化に人々を順応させると語っている。そしてその代表を映画だと指摘して、映画が支配階級の搾取の道具という面を持ちながらも、労働者に搾取の現実を露わにして無階級社会を生み出すきっかけになると期待した。

 ベンヤミンの願いは叶わなかったが、新しい芸術が新しい技術の登場に伴う社会の変化に人々を順応させる役割を担うことは間違いない。

 現代におけるその代表がCGなどコンピュータを使った新しい芸術だ。若者達が熱狂するコンピュータゲームも、筆者の世代には芸術の名に値しないと評判はよろしくないが、芸術の範疇は不変ではなく新しい時代の新しい芸術と言ってよい。若い世代はこの新しい芸術と親しむことでIT社会に順応していく。

 コンピュータが芸術に関与する機会が増えることで、芸術と技術が接近していくことに気がつく。元々、古代社会においては技術と芸術の差はほとんどなかった。それが生産の発展により、産業の道具としての技術、儀式と教養のための芸術というように、両者の溝は広がった。だが、人間の知的な機能、さらには情緒すら模倣するコンピュータの登場と大衆社会の広がりで、両者の溝は狭まり再接近していくことになる。これを原点回帰と言ってもよいかもしれない。

 芸術と技術の接近を歓迎するべき事態と安易に肯定することはできない。技術と芸術が一体となって、資本主義的システムに人々を絡め取る機能を果たしていることに警戒が必要だ。だが、その一方で、マニアル化可能な技術と芸術の融合は、一般大衆が、芸術的センスに恵まれない者や本格的な芸術教育を受けたことがない者を含めて、広く芸術を享受することを可能にする。芸術的センスゼロの筆者も、デジカメが普及してから写真を撮ることができるようになった。

 肝心な点は、この可能性を私たちがどのように活用していくかだ。ベンヤミンは「(労働者階級による)芸術の政治化」を提唱したが、「芸術の政治化」という政治的スローガンは文化大革命の人権抑圧を想起させるところがあり好ましいとは言えない。人々が生活と仕事の中で新しい芸術と技術に対して能動的に関与し、ときには批判的、懐疑的な行動と思考を取る習慣を身につけることで、希望に満ちた未来への扉を開くことを期待したい。

(H19/4/26記)


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