☆ 哲学者の世界と科学者の世界 ☆

井出 薫

 科学者は全体を部分に分解して世界を描き出す。物理学は素粒子に、化学は原子分子に、生物学は遺伝子や細胞に分解する。しかし、人は他人を素粒子や細胞の集合だと考えることはない。ある女性をみて美しいと感じるとき、人はその女性の細胞組織や素粒子の結合を思い浮かべているのではない。哲学者は世界を分解するのではなく、この人間のありのままの感性から始めるべきだと語りかける。

 科学者は質を捨象する。物理学者にとって、人間と岩石は素粒子の集合状態の違いに過ぎず、その差は量的で数学的なものでしかない。生物学者は人間もアメーバも同じ塩基からなる遺伝子で種の保存を図っていることを発見し、人間とアメーバの差はやはり量的で数学的なものでしかないことを明らかにする。一方、哲学者は生物と無生物、人間とアメーバ、私と貴方の違いは決定的なものであることを示そうとする。

 私たちが暮らす世界はどちらかと言えば哲学者が語る全体的で質的な世界に近い。哲学は無意味な学問、難解な学問と言われることが多いが、実際は常識の世界に拘り続けるのが哲学だ。一方、科学が語る世界は、科学技術の目覚しい発展と自らの生存基盤を危うくするほどの産業の拡大を通じて、その真理性を明らかにする。だが哲学の真理性と異なり科学の真理性は直接的なものではない。

 現代人は科学を崇拝して、科学こそ真理の源泉だと信じ込んでいる。「非科学的」という言葉は現代では「正しくない」と言うに等しい。だが科学は真理の一部を表現しているに過ぎない。倫理や美の問題はけっして科学で解決されるものではない。

 もとより現代文明は哲学ではなく科学に基礎付けられている。だから人々が科学を信奉するのも無理はない。だが科学が真理のすべてではなく、哲学が科学と同等あるいはそれ以上に世界の真理を表現していることも忘れてはならない。

(H19/4/7記)


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