☆ 虚数の不思議 ☆

井出 薫

 虚数は不思議だ。2乗して−1になる数など存在しないと初めは誰もが考えた。だが、今では、それは数学にはなくてはならない存在となっている。

 虚数の存在は二次元上の半径1の円を考えると理解がしやすい。1に−1を掛けると−1、もう一度−1を掛けると1に戻る。−1*−1=1。これを半径1の円周上で180度の回転を二度続けて行なうと考えることができる。だとすると二乗して−1になる数を考えることは難しくない。円周上で90度回転させた数が−1の平方根と考えることができる。なぜなら、この操作を二度続けて行なうと180度の回転になり、それは1の対称的な位置にある−1になるからだ。

 こうして虚数iが導入された。実数を横軸、虚数を縦軸と考えることで、二次元平面上で複素数の世界が展開する。

 数を実数から複素数に拡大することで、数学の世界は飛躍的に拡大して、数学理論の内部だけではなく、様々な領域で数学の応用が広がった。電磁気学などで欠かせない道具である等角写像の手法などは実数の世界では展開できない。不確定性原理と、独立な状態の重ねあわせを基礎原理とする量子論は、その基礎からして複素数の世界になる。なぜなら、不確定性原理で表現される相補的な物理量(たとえば運動量pと位置x)が重ねあわされた量子状態は、1次元的な実数の世界では表現不可能だからだ。つまり量子論は複素数の世界でのみ展開可能で、複素数がなければ量子論を体系化することはできなかった。

 ところで、これまでの説明を聞くと、複素数の世界は二次元のベクトル空間と同じではないかと感じる人がいるかもしれない。だが両者は違う。二次元のベクトル空間ではX軸とY軸は同等な存在であるが、虚数軸と実数軸は異質な性質を持つからだ。それはiの2乗が−1であり、1の2乗が1であることからも容易に想像できるだろう。複素数を表現する二次元のモデルはベクトル空間ではない。

 虚数と実数を二次元で表現できることから、さらに、実数1でも、虚数iでもなく、第3の数(超数?)jが存在するのではないか、そういう数を導入することで、複素数が数学を拡大したように、さらに数学を強化できるのではないか、こう考える人がいるかもしれない。

 だが、そういう数を導入することはできない。そういう数は実数と虚数の和で表現される複素数に還元されることが分かっている。複素数以上に数を拡大することはできないのだ。「虚実」という言葉はあるが、「虚実〇」の〇を埋める適当な文字がないように、第3の数はない。

 私たちが暮らす空間は、(超弦理論など最新の物理理論ではいざ知らず)普通三次元だと思われている。ところが、私たちの思考の基礎的枠組みの重要な一部である数学では、二次元的な世界が数の世界になる。人間の脳は三次元の世界を二次元に変換して理解していると言われているが、もしかすると数の世界が二次元以上に拡張できないのは人間の脳の構造や機能と関連しているのかもしれない。虚数はやはり謎に満ちている。

(H19/3/18記)


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