☆ 内包論理 ☆

井出 薫

 内包論理なる一風変わった論理がある。余り使われることはないが、人間の信念などに関わる論理や様相論理は内包論理になる。

 説明のために、二つの命題を例にあげる。
命題1「中国の国家主席と日本の首相が10月8日に北京で会談を行なった」
命題2「山田さんは「中国の国家主席と日本の首相が10月8日に北京で会談を行なった」ことを知っている。」
 山田さんは会談の事実を新聞やテレビのニュースで聞き、知っていたとすると、二つの命題はどちらも真になる。

 ここで、二つの命題に含まれる二つの言葉、「中国の国家主席」と「日本の首相」を外延(言葉など記号が指し示す対象、この場合、中国の国家主席と日本の首相という二人の人物のこと)が等しい別の言葉で置き換えてみよう。「中国の国家主席=胡錦濤」、「日本の首相=安部晋三」だから、二つの命題は命題3、4のように変換される。
命題3「胡錦濤と安部晋三が10月8日に北京で会談を行なった」
命題4「山田さんは「胡錦濤と安部晋三が10月8日に北京で会談を行なった」ことを知っている。」

 ここで、命題3は真であるが、命題4は真であるとは限らない。山田さんは報道で日本の首相と中国の国家主席が会談を行なったと聞いたが、中国の国家主席が誰であるか知らない可能性がある。日本の首相がまだ小泉さんだと思い込んでいる可能性もある。要するに、命題1と命題3のような普通の述語論理命題では、命題の一部要素を外延が等しい別の記号で置換しても真理値(真か偽)は変わらないが、命題2と命題4のような命題では、命題の一部を外延が等しい記号で置換したときに真理値が変わる可能性がある(真ではなくなる可能性がある)。

 命題2と4のような論理を内包論理と呼ぶ。

 様相論理学も内包論理になる。
命題1「「地球は月よりも大きい」は真理である」
命題2「「地球は月よりも大きい」は必然的な真理である」
命題3「「1+1=2」は真理である」
命題4「「1+1=2」は必然的な真理である」
 ここで、命題1、3と4は真理であるが、命題2は真理とは言えない。地球が月よりも小さいということはありえることで、地球が月よりも大きいということは偶然的な真理に過ぎないからだ。

 同じ真理値(この場合「真」)を持つ二つの命題「地球は月よりも大きい」と「1+1=2」を置換することで、真理値が変わることがありえるから、事実として真理、可能的な真理、必然的な真理、などという複数の真理概念を有する様相論理は内包論理となる。
(注)「真」、「偽」という真理値を「外延」つまり記号の指示対象だと考えることには違和感があるかもしれない。真や偽は、日本の首相や中国の国家主席のように、明確に指示できる具体的な物的対象ではない。しかし、現代の論理学では、真理値も記号の指示対象つまり外延の一つと考える。

 私たちがコンピュータなどで使用している論理はほとんどが二値論理で、内包論理が登場することは少ない。−もちろん、コンピュータで内包論理を扱うことはできる。−こんな論理はややこしいだけで実用にはならないと言う人もいる。

 しかしながら、私たちの知識の大部分は、「私は学校で、地球は月より大きいと教わった、他の人もそう言っているから多分間違いないはずだ」、「中国の主席は確か胡錦濤さんだったと記憶している」という類のもので、自分の知識の正しさを理路整然と疑いの余地なく証明できることは少ない。

 また、私たちは、常日頃から、ある出来事が必然的な出来事であるか、偶然の出来事であるかを気にしている。自動車事故が飲酒運転による(ほぼ)必然的な帰結だったのか、不可抗力による偶発的な事故だったのかで、その責任は全く異なってくる。数学の真理は必然で、プレイオフで日本ハムが優勝したことは偶然の出来事だと考える。だからこそ「信じられない!」なのだ。

 内包論理は複雑で、現代の科学技術では余り使用されることはない。しかし、人間と社会を理解する上では案外有用ではないかと考えられる。たまには、内包論理を勉強されるのもよいだろう。

(H18/10/15記)


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