☆ グローバル化とナショナリズム〜資本の論理の必然として ☆

井出 薫

 「経済のグローバル化は、国際資本による支配と搾取を顕在化することで、偏狭なナショナリズムを超えた人民大衆の国際的な改革運動を促し、国家という枠組みを超えた世界的規模の自由で平等な理想社会を生み出す基盤を作り出していく。」

 これに対して、国家や民族という存在は経済のグローバル化とは別の原理に基づくもので、このような楽観的な見通しは幻想に過ぎないと柄谷行人氏などは指摘する。確かに、現実の世界を眺望すると、国家や民族を超えた人々の連帯強化よりも、寧ろナショナリズムの潮流が強まっている。日本と近隣諸国においても、ご多分に漏れず、規制緩和と経済交流の拡大と同調するかのように、各国でナショナリズムが広がる傾向にある。

 それゆえ、左翼的な楽観論は現実に即したものではなく夢想に過ぎない。だが、それは、国家や民族が経済の原理とは別の原理に支えられているからなのだろうか。そうなのではなく、寧ろ、グローバル化する市場経済の原理こそが、ナショナリズムを促していると見るべきではないか。

 マルクスは、「資本」を「自己増殖する価値体」と定義した。好むと好まざるとに関わりなく、資本は常に膨張していく宿命を担っている。

 自己増殖する価値体としての資本生産の源泉は、社会的なシステムの差異創出にある。システムの差異が存在しないところでは価値増殖は停止する。−完全に差異が存在しない社会システムなど存在しないが。−

 資本生産で重要な社会的なシステムの差異には、主要なものが4つある。マルクスが最も重視した権力の差異−資本家階級と労働者階級の間に横たわる差異−、資本主義発展のための最も重要な原動力である時間的な差異−イノベーション、資本の集積・集中、経済成長−、地域的・空間的な差異−南北問題、資源の偏在−、情報の差異−知識の独占、情報格差−、この4つだ。

 労働者人口の増大と普通選挙の普及で、労働者階級の政治的な力はマルクスの時代よりも格段に強化された。いまや、政治家は勤労者大衆の意向を無視して政策を遂行することは不可能になっている。権力の差異は、発展途上国や独裁国では依然として有力な資本生産の方式だが、世界的に見ればマイナーな方式へと縮退しつつある。

 時間的差異は最も重要で、この差異が円滑に継続的に創出されることで、資本主義は最も繁栄することができる。事実、若きマルクスが生きた時代の悲惨な資本主義、労働者が次々と過重労働の前に倒れていく粗暴な資本主義を克服して、時間的な差異を資本生産の主要な方式とすることで、多くの国が、資本主義の下での繁栄を手に入れることができた。だが、時間的差異の創出は気紛れで少しも安定しない。順調に差異が創出されることは極めて稀で、寧ろ、停滞と後退が普通の状態だ。だから時間的差異だけでは資本生産は円滑にはいかない。

 情報の差異は、ITの普及で重要性を増している。だが、ITの普及で、情報の差異が絶え間なく作り出される一方で、同時に情報の差異は絶えず突き崩されている。知識や情報はすぐに陳腐化して、流行は瞬く間に過ぎ去る。

 こういう状況の中、マルクスが重要視しなかった地域的・空間的な差異が現実には極めて重要な役割を果たすことになる。科学技術が発展すればするほど、人間の限界も露わになる。人類は地球環境と自然法則に拘束されて、その外に出ることはできない。自転車でアルゼンチンまで買い物に行き30分で帰ってくることはできない。中東の石油を1時間で日本の家庭に届けることもできない。こうして、ITの進歩と経済のグローバル化は、却って自然的な制約を露わにして、地域的・空間的な差異の活用こそ資本生産の最も効率よい方法であることを明らかにする。

 地域的・空間的差異の存在とその再生産こそが、現代の資本生産において決定的な重要性を持つことが明らかになることで、人々は民族国家に今まで以上に固執するようになる。ナショナリズムは、一見して経済のグローバル化・規制緩和と矛盾しているように見えるが、実は必然的な内的連関をなしている。現在の国家・民族・ナショナリズムは経済の原理と別の原理に従っているのではなく、経済の原理と手を携えて世界に浸透している。たとえ、皮相的にはナショナリズムが経済のグローバル化に抵抗しているように見えても、それはコップの中の嵐に過ぎず、やがて経済のグローバル化の潮流と合流する。もちろん、その一方で、ナショナリズムの強化は地域紛争を益々拡大することになる。

 この事実は、私たちの未来を憂鬱なものにする。地域紛争の拡大と頻発、核拡散、偶発的な核戦争の危機が迫っている。

 しかし、この隘路から脱却する道がないわけではない。資本生産の最良の方法は時間的な差異の創出であることに変わりはない。それなしには資本主義は崩壊して、人類は原始時代に逆戻りすることになる。

 時間的な差異の創出は、情報の差異と連携しながら、地域的・空間的な差異を解消する方向に作用する。発展が遅れた地域ほど、適切な資本投下と技術供与がなされ、巧みな経済運営が遂行できれば、より急速に時間的差異を創出して、速やかに経済発展することができる。そして、地域的・空間的差異は縮小され、その役割は背景へと後退する。

 こうなれば、私たちは、世界的な規模で人々が連帯した調和の取れた発展を実現することが可能となる。かつて左翼が夢想した、国境のない、自由、平等、公平な世界が私たちの視界に入ってくるのだ。

 もとより、このような楽観的なシナリオをまともに信じることはできない。これは冒頭に示した古い左翼的ユートピアと同じではないかと批判されよう。だが、私たちが、発展途上国の人々の貧困と苦難を解消するために連帯し、貪欲な資本主義の精神を逆手にとって、貧しい人々のためになるようにその力の流れを変えることができれば、資本主義と偏狭なナショナリズムを超えた栄光ある未来を地上に実現することは不可能ではない。

 人間の力は限られている。賢いとも、善良だとも言えない人類に、このような輝かしい未来が待っているかどうか、誰にも予測することはできない。灰色の憂鬱な世界こそが現実なのかもしれない。

 だが、未来を決めるのは、人間自身ではなく人間が乗り越えることができない自然の力だとしても、私たちの思想と実践もまた無力ではない。希望を捨てる必要はないのだ。

(H18/8/6記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.