☆ 無限小〜数学の性格〜 ☆

井出 薫

 イギリス経験論の中心人物の一人バークリーは「微積分学は、0ではないが0以外の如何なる数よりも小さい数が存在すると言う。こんなばかげたことはない。」と言ったそうだ。だが、0ではないが、0以外の如何なる数よりも小さい数「無限小」は存在する。現代数学はそれを証明している。

 1960年ごろロビンソンが超準解析と呼ばれる手法を開発して、無限小(並びに無限大)を実在する数のように取り扱う方法を発見した。これにより、解析学は合理化され、バークリーの異論は止めを刺された。

 無限小のアイデアはライプニッツに遡るが、20世紀においてその合理的な表現を得た。超準解析の登場で、無限小は単なる「限りなく小さい数を作り出すことができる」という操作的な概念から脱して、実在的なものという地位を得た。

 大学で微積分を学ぶとき戸惑うことがある。
「dy/dx=y」のような微分方程式を解くとき、dxやdyを普通の数のように考えて、
「dy/y=dx」のように変形して解を求める。
だが、dy/dxは、xを0に限りなく近づけたときのy/xの値を意味する。
dy、dxは普通の数ではない。どうして、こんな変形ができるのか。筆者のような凡人は、問題が解けさえすればいいので、どうしてだろうと深く考えたりはしない。だが、バークリーのような人は簡単には納得しない。

 超準解析はこの謎を最終的に解決した。このような優れた業績を現代の哲学者が注目していないのは謎だ。たぶん哲学の専門家は数学などよく知らないのだろう。現代の哲学者は、ゲーデルの不完全性定理、カオス、複雑系、フラクタルなど、哲学的に深遠なものが隠されているようにみえるものがあると、わかりもせずに飛びついて、御託を並べるが、何が重要か理解していない。

 晩年のフッサールやウィトゲンシュタインは、数学の道具的性格を強調した。「数学は生活世界に根差した道具である」、これが彼らの考えだ。だが、無限小の実在的な性格は、数学が、たとえ生活世界が出発点だとしても、日常生活を遥かに超えた抽象的次元に関わるものであることを示唆する。

(H15/6/1記)


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