☆ 進化論の正しい学び方 ☆

井出 薫

 進化論は「(突然変異で)自然環境によりよく適応できるようになった生物が、生存競争の勝者となって生き残り、敗者は滅びていった。これが自然淘汰による生物進化だ。人間を頂点とする高等動物は、他の生物よりも環境に上手に適応することができたので、地上で繁栄している。」ということを語っていると信じる人が少なくないが、間違いだ。

 30年ほど前までは、恐竜は進化の袋小路に迷い込み、哺乳類との競争に敗れて絶滅したと考えられていた。だが、今では、恐竜は巨大隕石の地球衝突が原因で絶滅したと考えられている。隕石衝突から辛うじて生き残った哺乳類の先祖が様々な進化を遂げ、その末裔の一人が人間だ。−隕石衝突で絶滅したのは恐竜だけではなく、哺乳類の多くの種も絶滅した。−
 恐竜より哺乳類が優れていたから哺乳類が繁栄しているのではなく、恐竜が滅びたお陰で、それまでは地球生態系でマイナーな存在に過ぎなかった哺乳類が繁栄することができるようになった、これが真相だ。もし隕石の衝突がなく、あるいは衝突があったとしても恐竜が首尾よく生き残っていたとしたら、哺乳類は未だにマイナーな生物に過ぎず、おそらく人類のような肉体的にひ弱な生物は生存することができなかっただろう。その代わりに、恐竜の仲間に人間のような知能を持つ者が誕生していただろう。
 恐竜に限らず、絶滅した種の多くが、生存競争に敗れたのではなく、天変地異など外部要因で滅びたと今では考えられている。

 新しい種が生態系に誕生するときも他の種を押し退ける必要はない。窒素は生命体を維持するために不可欠の元素だが、陸上植物は空気中に最も豊富に存在する窒素分子を直接利用することができない。だから土壌のアンモニアや硝酸など窒素化合物を利用して生命を維持している。だからアンモニアや硝酸が欠乏した大地では植物は繁殖できない。最も重要かつ有益な肥料が窒素肥料であることからもこのことは容易に想像がつくだろう。
 ここで空気中の窒素分子を直接利用する能力を持つ植物が突然変異で誕生したらどうなるだろう。窒素化合物が欠乏した大地でも生き延びることができる。そうなれば、この新しい植物はそれまで他の植物が生存できなかった場所で繁栄することになる。ここでは、従来の植物と新種の植物の間には棲み分けが出来、競争は生じない。両者は共存する。
 実際、窒素固定能を有する根粒菌を根に共生させているマメ科の植物は、窒素化合物が欠乏した土壌で生育・繁殖しているが、マメ科の植物が他の植物と共存共栄していることは言うまでもない。
(注)「窒素固定能」とは、大気中などに存在する窒素分子から植物の生育に不可欠な窒素化合物を作り出す能力のこと。地球上ではバクテリアの一部だけがこの能力を有する。根粒菌はその数少ないバクテリアの一種。
 生物進化は、突然変異を通じて新しい能力を獲得した生物や生物の集団が、既存の種が利用できなかった環境を利用することができるようになり、新しく生態系に参加することで進んでいく。生存競争がないわけではないが、それが進化の原動力ではない。そのことは、植物と昆虫との共生関係など地球生態系の至るところでみられる多様な共存共栄関係をみれば容易に想像がつく。他の種に依存せずに独立して生きていける種など、この地上には一つも存在しない。もし様々な種が生き残りを賭けた死に物狂いの闘争を繰り広げているとしたら、調和の取れた現在の地球生態系はありえない。

 生存競争に敗れた者が去り勝者が生き残るという発想は、西洋が世界を支配して資本主義的競争が激化した17世紀から19世紀にかけて登場したイデオロギーの一つに過ぎない。ダーウィンがマルサスの強い影響の下で生物進化の思想を確立したために、進化論思想は生存競争による優勝劣敗的な発想に大幅に偏ってしまうことになる。−とは言え、ダーウィンの進化論が歴史に燦然と輝く偉大な思想であることに変わりはない。筆者はその時代的な解釈を問題にしているだけだ。−しかし、調和の取れた生態系、絶滅や新しい種の誕生の原因と経過などをみれば、そのような思想が正しくないことは明らかだ。

 人間を頂点とした脊椎動物からなる高等生物が地球環境に最もよく適応した生物だなどという考えも全く間違っている。ライオンや虎ほど弱い生物はいない。生態系が破壊されたら真っ先に滅んでしまうのが彼らだ。そして、人間もその肉体的な面では地上最弱の生物であることは言うまでもなかろう。高等生物と呼ばれる生物種は自然環境に上手く適応したというよりも、豊かな生態系が存在したお陰で、そこに住処を見つけることができたというのが真相だ。寧ろ、バクテリアや菌類、地中の微小生物、海洋のプランクトンなどの方が遥かに環境に上手く適応している。哺乳類でもネズミなど見かけは小さく弱そうな種が環境変化には最も強い。

 「弱肉強食こそ自然だ。古い者は新しい者に道を譲り消えていくのが自然の摂理だ。進化論がそれを教えている。」などと馬鹿げたことを言っている御仁を未だに見かけるが、このような考えこそが、反自然であり、無制限の市場競争こそが自然に適う最良の制度だという古臭い根拠のないイデオロギーに過ぎない。

 人間の歴史と生物進化とは全く異質なものであり、人間の歴史を生物進化の延長線上で捉えるのは間違っている。しかし、社会の在るべきすがたを考えるとき、生物学や生態学から学ぶべきことは多い。だからこそ、生物進化の理論は何を教えているのか、しっかりと学んでおく必要がある。知ったかぶりの馬鹿や嘘つき−筆者もその一人だが−に騙されてはいけない。


(H17/9/27記)


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