☆ 哲学とは何か(その2) ☆

井出 薫

 哲学者は抽象的な思考を好むが、暮らしに役立つのは実用的で具体的な知識と思考だ。抽象的な思考は数学や物理学では絶大な威力を発揮し、他の自然科学でも不可欠の道具だが、工学や社会科学ではその威力は限定的で、過信すると大抵は誤った一般化に陥ることになる。だから真理の意味と背景を探究する哲学は、本来、抽象的な思考ではなく、具体的で実用的な思考を求めなくてはならない。

 ウィトゲンシュタインは、安易な理論化・一般化を諌め、言葉ですら曖昧で不確実な現実に組み入れられることで初めて意味を獲得することを示し、哲学に蔓延する独断的な抽象的思考の解体を試みた。だが、ウィトゲンシュタインの議論は難解で、その真意は理解されず、哲学界では抽象的な思考が依然として大手を揮って人々を支配している。

 17世紀を代表する哲学者スピノザは、「永遠の相の下で観る」ことを哲学の目標とした。永遠の相とは神の必然という観点からすべてを把握するということだ。このスピノザの思考方法は、幾何学体系を模倣して著述された主著「エチカ」に生き生きと描き出されている。スピノザは哲学者の抽象的思考への強い愛好を示す典型的な例だと言ってよい。しかし、その抽象性の極限において、スピノザは有限な人間は永遠の相には決して到達出来ないことを発見してしまう。スピノザは、哲学者の抽象的思考への愛好とその不可能性を共に示す。

 哲学者はなぜ抽象的な思考を欲するのか。世界を完全に把握したいという欲望がそこにある。具体的なものに終始する限り、普遍的な真理は獲得できない。いつまでもザラザラした大地に留まったままになる。しかし、それは哲学者の気に入るところではない。−ウィトゲンシュタインは「そうあれ」と訓告するのだが誰も従わない−

 とは言え、実現不可能であることが明白な目標には人はさほど拘ることはない。タイムマシンは興味深い話題だが、真面目に取り組む人はいない。

 哲学者が抽象的な思考に固執するのは、抽象的な思考で世界を確実に把握していると信じられている学問があるからだ。そう、学問の中の学問、あらゆる学問分野の中で、圧倒的多数の人々から最も信頼され、客観的で確実な学であると信じられている数学がそれだ。哲学者は古代ギリシャから数学に魅了されてきた。数学の基礎に批判的な哲学者も少なくないが、その内実は少しも変わるところはない。数学が気になって気になって仕方ないから批判しているに過ぎない。

 哲学者だけではなく、多くの偉大な芸術家も数学に魅了されその活動を方向付けられてきた。数学とそれが表現する数学的真理の威力はそれほどまでに強大なのだ。

 だから、私の次の課題は数学的真理の正体を明らかにすることにある。
(続く)


(H17/9/22記)


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