☆ 量子の不思議2〜観測の時間非対称 ☆

井出 薫

 物理的な系に影響を与えることなく観測することは、古典物理学の世界では可能だが、量子論の世界では不可能になる。これもまた、技術的な限界ではなく原理的な限界だ。

 観測の結果、必ず物理的な系を乱すことになり、観測前の状態は壊れてしまう。だから、観測は自然現象の中に時間的な非対称性を持ち込むことになる。

 通常、物理法則は時間対称性を持つ。つまり、時間を過去に遡っても、未来に進めても物理法則は変わらない。古典物理学の世界ではすべての法則が時間対称で、量子論の世界も基本的には同じだ。ただ厳密に言えば、量子論の世界は完全には時間対称ではなく、CPT変換に対してのみ完全な対称性を持つ。だが量子論の世界でも私たちの生活に直接関わるような物理的な出来事はすべて時間対称だと言ってよい。

 ところが、観測をすることで対称性が破れる。観測前に物理的な系がどのような状態にあったかを観測結果から遡って知ることはできない。異なる状態Ψ1とΨ2を観測した結果、同じ結果を得ることがあり、観測前にどちらの状態だったかを知ることは、観測前の状態が分かっていない限り知りようがない。これに対して、観測後の物理的な系の振る舞いは次の観測が行なわれるまでは厳密に予測するができる。そこには不確実性は少しもない。だから観測の前と後では物理的な系は時間非対称性になる。

 観測は、観測対象である物理的な系に、それ自体物理的な系である観測装置を相互作用させることで成立する。だから、観測も一つの物理現象であることに違いはない。だとすると、物理法則が時間対称性を有するということと観測が必然的に時間対称性を破るということがどのように整合するのか説明は難しい。

 これが「観測の問題」と呼ばれる量子論の難題で、多くの物理学者が頭を悩ませてきた。ただ、現実に量子論を応用するときには、観測の問題は無視して、量子論の方程式を解けば正しい解を得ることができるため、実用上は何も問題はない。とは言え、ここに難問が存在することは間違いない。

 私たちの身のまわりの出来事はすべて時間的に非対称だ。コップが床に落下して粉々に砕け散ることは日常茶飯事だが、粉々に砕け散ったコップの破片が自然に集まり元のコップに戻るということは絶対にありえない。老人が赤ん坊に戻ることもない。−あれば嬉しいと思うが−私たちが住む世界は時間的に非対称なのだ。それが物理法則の時間対称性とどのように繋がっているのか、これが19世紀以来の難問だった。果たして量子の世界の観測がその難問に答えを与えるのだろうか。

 観測の問題と時間非対称性を解明するために多くの試みがなされているが、今のところ最終的な答えは出ていない。

(H17/5/13記)


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