☆ 量子テレポーテーション ☆

井出 薫

 最近、量子テレポーテーションという言葉をよく耳にする。テレポーテーションはSFでは御馴染みで、瞬間移動のことだ。テレポーテーションの能力があればどこでも自由自在に行って帰ってくることができる。数億光年の遥か彼方の星雲にさえ行くことができる。

 量子テレポーテーションは、瞬間移動とは言っても、誰かが遥か彼方に瞬間移動するわけではない。ある量子状態を地球で観測しているときに、遥か彼方の星雲で同じ時刻に同じ量子状態を観測していた場合、両者の観測結果に相関関係が生じることを意味する。つまり、地球の観測が遥か彼方で行なわれる観測に瞬時に影響を与えるということだ。

 たとえば、地上で宇宙から降ってきた粒子のスピンを観測するとする。この粒子は宇宙の彼方で二つに分裂してそれぞれ反対方向に進んだ粒子の片割れだとしよう。一つは地球に到達して地球の物理学者が観測をする。その結果、スピンは進行方向と同じ向きだということが分かったとする。同時刻に、もし、もう一つの粒子が別の星に到達して、その星の物理学者が同時刻にスピンを観測したらどうなるだろう。もし、地球の物理学者が観測をしなければ、スピンの観測の結果は、進行方向と同一方向か反対方向か確率が半々であり、やってみないと分からない。しかし、地球の物理学者が観測をして上の結果を得ている場合、この星の物理学者の観測結果は進行方向と同じであることが確定する。このように、遥かに離れた場所の観測が瞬時に相互に影響しあう。これが量子テレポーテーションと言われる現象だ。

 量子論が正しいとすると量子テレポーテーションが生じることは、アインシュタインとその同僚が初めて気が付いた。アインシュタインは、光量子仮説を提唱して量子論の成立に巨大な貢献をなした。しかし、アインシュタインは量子論の確率論的な性格に不満で、量子論は不完全だと死ぬまで主張し続けた。量子テレポーテーションなどという奇妙な現象が生じるなどということはありえない。それは相対性理論と矛盾する。だから、量子テレポーテーションが生じることを予言する量子論は正しい理論ではない。これがアインシュタインの主張したことだった。アインシュタインは、量子テレポーテーションを量子論が正しい理論ではないことを証明する証拠として取り上げたのだった。
(注)なお、アインシュタイン自身が量子テレポーテーションという言葉を使ったわけではない。この現象に気が付いた共同研究者、アインシュタイン、ポドロスキー、ローゼンの頭文字を取って、EPRパラドックスなどと呼ばれることもある。

 しかし、アインシュタインの予想に反して、量子テレポーテーションは実在することが実験により証明された。アインシュタインは、量子論から量子テレポーテーションの存在が予言されると考えた点では正しかったが、それが存在しないと考えた点で間違っていた。

 特殊相対性理論によると、真空中の光より速い速度で運動することはできない。数学的には、タキオンと呼ばれる超光速粒子の存在を想定することもできるが、タキオンは虚数の質量を持つこと、事象の時間順序が不確定で因果律を破ることから実在しないと考えられている。だから、エネルギーも情報も真空中の光速度より速く伝達することはできないことになる。たとえ、原子の間隔程度の短い距離でも、情報伝達には有限の時間が必要となる。

 だとすると量子テレポーテーションは、特殊相対性理論と矛盾するのではないだろうか。一見したところそういう風に見えるかもしれない。アインシュタインもそう考えた。しかし実は矛盾しない。観測の結果は瞬時に他の場所に影響を及ぼす。しかし、ある観測をしたという情報が瞬時に他のところに届くわけではない。地球でスピンの観測をしたことと、進行方向と同一方向に向いていることが分かったことを、遥か彼方の星の物理学者は知ることはできない。このことを知らせるには、真空中の光と同一速度かそれより遅い速度で進む物質にこの情報を乗せて、遥か彼方の物理学者に向けて発信しなくてはならない。要するに、エネルギーも情報も真空中の光速度を超えて進むことはないという特殊相対性理論の要請は揺らぐことはないのだ。

 だが、それでも、量子テレポーテーションは不可解な現象であり、多くの物理学者や哲学者の興味を惹きつけてきた。量子テレポーテーションは特殊相対性理論と矛盾しないことに多くの物理学者が同意してからも、量子テレポーテーションを使って特殊相対性理論を出し抜くことができるのではないか、量子テレポーテーションこそ森羅万象を説明する究極理論を見つけだす鍵ではないかと考える研究者が後を絶たなかった。

 量子テレポーテーションは長らく単なる理論的な興味に過ぎず、現実には無関係だと考えられてきた。だが、近年、これが実用化されそうだということになり、俄かに関心が高まってきた。いまや、量子テレポーテーションは浮世離れした理論物理学者の専売特許ではなく、技術者を含めて多くの人々の関心を惹くようになっている。

 量子論では、ある量子状態Ψを、その状態を壊さないで、そのまま別の場所に移すことはできないとされている。それは量子状態を移すには、その状態を観測することが不可欠だが、観測すると必ず量子状態に擾乱を与えてΨは別の状態Ψ’に変わってしまうからだ。このことはノークローニング定理と呼ばれる。原本を破壊しないではクローンが作れない、だから原本しかないという意味だ。

 ところが、量子テレポーテーションを使うとノークローニング定理を出し抜いて、量子状態Ψを別の場所にそっくりそのままコピーすることができる。

 里見と森の二人が、量子テレポーテーションを起こしうる量子状態φを手にしているとする。里見は未知の状態Ψを森に伝達したいと考えている。普通に遣ったのではノークローニング定理により不可能だ。だが、Ψを観測するのではなく、Ψとφを結合した状態に対して観測を行なうことで、森にΨの状態を伝送することができる。ただし、ここでも、特殊相対性理論により、情報は真空中の光速度を超えた速度で伝達することはできない。量子テレポーテーションの影響は瞬時に森に伝わるのだが、それだけでは肝心の情報Ψは伝わらない。里見は、量子テレポーテーションとは別に、普通の光速度以下の速度で情報伝達する伝送路を使って観測の内容と結果を森に伝達する。それを使って森は、量子テレポーテーションを起こした状態と里見からの情報を基にして、量子状態Ψを再構成することができる。こうして、原本Ψの情報を、Ψを破壊することなく、遠隔地に新しいΨとしてコピーができたことになる。正にクローン誕生だ。ただし、里見も、森も、Ψがどういう状態かは知らないままである。それを知ろうとして観測をしていたら、情報は失われてしまう。

 このように、量子テレポーテーションを使って、量子状態の情報を、原本を破棄することなく伝送することが可能となる。これが実は極めて重要な技術となるのだ。

 近年、チューリングマシンの原理に基づく古典的なコンピュータを超えるコンピュータとして、量子チューリングマシンの原理に基づく量子コンピュータの実現可能性が話題に上るようになってきた。数個の原子の集合体というレベルではあるが、実験的にも量子コンピュータの原型が製作可能となっている。

 実用的な量子コンピュータを作り出すには、量子状態を適切に処理する回路が必要となるが、そのために量子テレポーテーション技術が利用できる。量子テレポーテーションは量子コンピュータ実現の鍵を握る技術の一つなのだ。

 量子コンピュータはある種の計算を古典コンピュータとは比較にならないくらい高速で実行することができる。たとえば、インターネットで盛んに使用されているRSA暗号は素因数分解に膨大な時間が掛かることに基づいているが、素因数分解は量子コンピュータを使えば簡単に実行できてしまう。つまり、量子コンピュータが実用化されると、RSA暗号だけでは暗号化していないも同然となり、インターネットではRSAとは別の暗号が必要となる。

(注)インターネットショッピングや行政への申請などを行なう際の暗号化はすべてRSA暗号を使用している。(インターネットエクスプローラの)ブラウザで鍵記号が表示されているときには、情報はRSAで暗号化されている。だから、RSAが簡単に破られると大変な影響がある。

 このように、空想的に思えた量子テレポーテーションが現実社会で活用される日が来るかもしれないのだ。

 今のところ、実用的な量子コンピュータがいつごろ実現できるのか、そもそも技術的に実現可能なのか、という問いに答えはないようだ。研究者の中には、実用的な量子コンピュータなど出来ないと考えている人もいる。できたとしても、デスクトップパソコンや、いわんやノートパソコンのようなコンパクトなものにはならないと考える人が多いようだ。

 しかし、アインシュタインがその正しさを拒絶したほど奇妙で不可解な量子論の世界が、その奇妙さのままに私たちの目の前に登場しようとしている。これは実に興味深いことだ。

 現代技術の多くはすでに量子論に基づき作られている。核技術、半導体、様々な化学物質、ナノテクノロジー、超伝導、レーザー、CTやMRI、コンピュータなど多くの最新技術は量子論なしにはありえない。量子論は半世紀以上前から理工学部の学生の必修科目になっている。−理解できない学生がほとんどだが。−この意味で量子論はすでに私たちの生活と産業を支配している。しかし、量子論独特の世界が私たちの目の前に現れることはほとんどない。私たちの目の前にあるのは古典的な世界で、量子論特有の性質がそのまま現れることは少ない。今のところ、それが現れるのは、超流動や超伝導が生じる極低温の世界だけだ。しかし、超流動や超伝導は、古典的な世界とのアナロジーが十分に通用するから、不可解な量子論の世界の現象とまでは言えないだろう。それに較べて、量子テレポーテーションは量子論的世界像を使わないと理解不可能だ。このことを考えると、量子テレポーテーションの実用化は、量子論の世界を直接私たちが垣間見る機会を与えてくれると言える。これは画期的の出来事だ。

 心と意識は、科学の最後のフロンティアだと言う科学者がいる。心は現代の科学では全く手付かずの状態にあると言ってよい。コンピュータは人間ができることは(原理的には)すべて出来るようになるだろう。だが、それでもコンピュータが心や意識を持つことはない。だから、心とか、意識とか呼ばれるものを自然科学で解明することは非常に難しいことなのだ。何を解明すれば、心を科学的に理解したことになるのか、それすら意見の一致を見ていない。

 この不可解な心と意識の問題は、量子論の不可解な性質を理解して、それを脳に応用するときに初めて解明されると考える人も少なくない。

 筆者は、心とか意識とかが、物理学や脳科学で解明できるとは考えていないし、それが量子論の不可解な性質と結びついているとも考えていない。

 だが、量子論の不可解な世界が、心の不可解な世界とどこかで結びついている可能性は否定しきれない。量子コンピュータと、量子テレポーテーションが、この結びつきを明らかにするためのヒントを与えているのかもしれない。その意味でも、量子テレポーテーションは実に興味深いと言える。

(H16/11/21記)


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