☆ 数学の確実性 ☆

井出 薫

 数学的真理は絶対的であると言われる。物理学では、どんなによく立証されている理論でも間違っている可能性があるが、数学はそうではないと考えられている。「三角形の内角の和は180度」という定理は、非ユークリッド幾何学では正しくないが、ユークリッド幾何学では絶対的真理だ。

 数学の確実性は広く信じられてきたが、疑う人もいた。デカルトもその一人だ。

 数学の定理を証明するときに、私たちは、図や補助線を描いたり、数式の各辺から項を移行したりする。もし、空間が存在しないとしたら、あるいは目の前で描いたものが次々と消えていったとしたら、どうだろう。それでも、数学は確実な真理と言えるのだろうか。

 疑う余地があるものはすべて疑うと宣言したデカルトは、最初に物体の存在を疑い、続いて、空間の存在を疑うことで数学の確実性も疑う余地があるとした。

 デカルトは、結局、「考えている私の存在」が絶対確実であることを出発点にして、「考える私が明晰判明に判断するものはすべて真である」と主張して、数学の確実性を擁護することになる。デカルトの数学擁護は擁護になっていない。「明晰判明なる判断」とは何かという基準がはっきりしないから、その数学擁護は「自明だから確実だ」という同義反復でしかない。

 デカルトの数学擁護は無意味だが、デカルトの疑いは重要だ。空間がなければ、空間が私たちの暮らす空間と全く異質ならば、現存の数学は成り立たない。数学は絶対確実ではない。

 それでも、一度証明された数学の定理が間違いだとされることはない。何故だろう。

 数学は、数学的世界あるいは現実世界を対象とした絶対確実な認識ではない。私たちが数学を、自然現象(あるいは社会現象)を研究するときに、便利な道具しばしば必要不可欠な道具として、いつも同じように活用しているという事実があるだけだ。数学の確実性とは「いつも同じように使うから、いつも正しい。」ということを意味しているに過ぎない。

 だが、「数学は便利な道具としていつも同じように使うことができる」という事実は、世界について何かしらの真実を示している。ただ、それが何かを語ることはできない。

(H16/3/20記)


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