☆ 素粒子の標準理論 ☆

井出 薫

 現在広く受け入れられている素粒子の標準理論の概略を説明する。

■4種類の相互作用

 この世界には4種類の相互作用が存在する。重力相互作用、電磁相互作用、強い相互作用、弱い相互作用の4種類だ。この世のすべての出来事は、この4種類の相互作用に基づき生じている。

■重力相互作用

 重力相互作用は天体の運動に最も大きな影響を与える。ニュートンにより万有引力として発見された重力は、20世紀に入りアインシュタインにより時空の幾何学として定式された。その美しい重力方程式が宇宙の運命を支配する。宇宙が膨張しているとか、ビックバンから宇宙は始まったとかいう理論はすべてアインシュタインの重力方程式に基づく。
 実は、重力相互作用は4つの相互作用の中では最も弱い。ただ、電磁相互作用のように、正と負という打ち消しあう力が存在せず、引力だけのため(斥力が存在しないため)、宇宙のように巨大な量の物質が集積する場所では最も強力なものとなる。電磁相互作用は正と負が打ち消しあうために、大域的に見るとその力はゼロになる。弱い相互作用や強い相互作用は極めて短距離でしか働かない力なので、宇宙的な規模ではあまり重要性を持たない。

■電磁相互作用

 電磁相互作用は、電子や陽子のように電荷を帯びた素粒子の間に働く相互作用で、地上の自然現象の大部分は電磁相互作用に支配されている。
 電磁相互作用を媒介する素粒子が、最も有名な素粒子、光子(フォトン)だ。光子は静止質量を持たない素粒子で、真空中の光の速度がこの世で最も早い速度であることをご存知の方は多いだろう。

■弱い相互作用

 弱い相互作用は、原子のベータ崩壊や太陽の内部で生じている核融合反応の第一段階である「陽子と陽子の融合で重水素が発生する過程p+p⇒d+e++νe+」で働く相互作用だ。地球上の生物が太陽エネルギーで生命を維持していることを考えれば、弱い相互作用は、私たち生き物の恩人でもある。
 この弱い相互作用はその名のとおり「弱い」。実は、この相互作用が弱いから太陽はゆっくりとエネルギーを放出する。太陽の核融合の第一段階がもっと強力な相互作用に支配されていたら地球など、とっくの昔に消滅している。その意味でも、弱い相互作用は私たちの命を守ってくれている。

■強い相互作用

 強い相互作用は、湯川博士の「パイ中間子の理論」に遡る。電気的に反発する複数の陽子がどうして原子核の中で共存しているのか、その謎を解く鍵が陽子と中性子などハドロンと呼ばれる粒子を結合させる核力だ。この核力は湯川博士の独創的な理論により、パイ中間子と呼ばれる素粒子により媒介されていることが示された。湯川博士の発見により現代の素粒子論は始まったと言ってよい。
 陽子同士は電気的に反発する。だから、核力は電磁相互作用よりずっと強い。そこから強い相互作用と名づけられた。
 現代では、強い相互作用の真の姿は、クォークというハドロンを構成する素粒子と、クォーク間の相互作用を媒介するグルーオンという素粒子の相互作用であることが分かっている。
 このグルーオンが媒介する相互作用には、他の三つの相互作用には見られない面白い特徴がある。近づけば近づくほど、力が弱くなるのだ。これを専門家は漸近的自由性と呼んでいる。この特徴により、クォークは決して単独で存在することはない。なぜなら、引き離そうとするとどんどん力が強くなるからだ。限界を超えると新しいクォークが生まれて、結局はクォークの複合体のハドロンが生じる。だから、単独のクォークが観測されることはない。

■素粒子の標準理論(電磁相互作用と弱い相互作用の統一理論)

 4つの相互作用の中で、電磁相互作用と弱い相互作用は、弱電磁相互作用という本来一つだった相互作用から、宇宙の進化の過程で分離したものだと考えられている。35年ほど前に、サラム、ワインバーグ、グラショウなどにより弱電磁相互作用の理論が発見された。(通常、ワインバーグ・サラム理論と呼ばれる。)

(注)ゲルマンが発見した(ハドロンの理論である)クォーク理論と、弱電磁相互作用の理論により、1970年代、素粒子論は新たな展開を見せた。それまで、相互に独立していると考えられていた4つの相互作用の二つが統一されたのを機に、4つの相互作用を統一する究極理論の探究が開始された。究極理論については後述する。

 電磁相互作用を媒介する素粒子は光子である。光子はゲージ粒子だ。大学などで電磁気学を本格的に学習した人は、マックスウェルの電磁方程式がゲージ対称性を持つことをご存知だろう。電磁場を量子化した理論では、それに照応して、相互作用を媒介する粒子である光子が、スピン1(スピンが整数なのでボーズ粒子)のゲージ粒子となる。
 電磁相互作用と弱い相互作用を統一するためには、弱い相互作用に、光子と対応するゲージ粒子が存在する必要がある。それがウィークボゾンと呼ばれる素粒子だ。ウィークボゾンが存在すれば、光子とウィークボソンの両方を包含するゲージ対称性により、電磁相互作用と弱い相互作用を統一することができる。電磁相互作用の対称性は1次元ユニタリー群U(1)により表現される。弱い相互作用は、2次元の特殊ユニタリー群SU(2)で表現される。二つの群の直積SU(2)*U(1)の対称性を持つゲージ群を基礎にした理論が弱電磁相互作用の理論となる。これがワインバーグ・サラム理論だ。
 だが、一つ問題があった。光子は静止質量がゼロの長距離力だ。長距離力は、距離の逆二乗法則に従い力が弱くなる。距離が倍になると力は4分の1に、3倍になると9分の1になる。重力も同じ逆二乗則に従う。重力を媒介する素粒子グラビトンも静止質量0と考えられている。(ただし、スピンは2)
 一方、弱い相互作用は逆二乗側に従わない極めて短距離でしか作用しない力である。このことは、相互作用を媒介する素粒子が有限の静止質量を持つことを示唆する。だが、質量を持つ粒子は通常ゲージ対称性を持たない。
 この問題を解決しないと、二つの相互作用を統一することができない。そこで、導入されたのが、ヒッグス機構である。自己相互作用を持つスピンゼロのヒッグス粒子の存在を想定することで、相転移(たとえば、水が氷になるような物質の質的な変化)における「自発的対称性の破れ」と類似の機構を使って、ゲージ粒子に静止質量を与えることができる。(厳密に言うと、ウィークボゾンを記述する方程式に質量項が生じる。)
 ヒッグス粒子を想定することで、ウィークボゾンを有限の静止質量を持つゲージ粒子と考えることが可能となり、弱い相互作用と電磁相互作用が見事に統一されることになった。
 だが、問題がすべて解決されたのではない。ヒッグス粒子は未だ発見されていない。欧州で建設中の世界一の素粒子加速器LHCに発見が期待されている。だが、ヒッグス粒子は存在せず、他の基礎的な粒子が凝縮して自発的対称性の破れが生じていると考える研究者もいる。

(注)70年代初頭、ワインバーグ・サラム理論が電磁相互作用と同様に繰り込み可能な理論であることがトゥ・フーフトにより証明され、理論から確実な予測が出来るようになった。(「繰り込み可能」とは「繰り込み」という数学的操作により無限大から実験データと比較可能な有限の理論値を算出できるという意味である。なお、朝永博士のノーベル賞は、繰り込み可能な量子電磁力学を構築したことに対して与えられたものである。)

■素粒子の標準理論を超えて

 現代では、弱電磁相互作用の理論(ワインバーグ・サラム理論)と強い相互作用の基礎理論であるクォーク理論を合わせて、「素粒子の標準理論」と呼ばれている。
 クォーク理論では、強い相互作用を媒介する素粒子グルーオンが、3次元の特殊ユニタリー群SU(3)で記述されるゲージ粒子であると考えられている。そして、それは前述したとおり漸近的自由性という特徴を持つ。

 つまり、「素粒子の標準理論」とは、SU(3)*SU(2)*U(1)という群構造を持つゲージ理論により記述されている。

 だが、この表現からも分かるとおり、標準理論は完全な統一理論ではない。強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用が一つの統一されたゲージ群に統合されていないからだ。さらに、標準理論には重力相互作用が全く含まれていない。

 重力相互作用は歴史的に見れば最初に発見された相互作用であるが、素粒子の統一理論を作るうえでは最も扱いが難しい相互作用なのである。重力相互作用は繰り込み可能ではない。そのために、他の相互作用との統一は極めて困難だった。と言うのは、他の相互作用はすべて繰り込み可能なゲージ理論により記述されているからだ。
 だが、80年代半ばに、超対称性を持つ弦理論として素粒子を記述する理論=超弦理論が登場して、この壁を超えることができるのではないかという希望が芽生えた。超弦理論では時空の次元が10次元であるなど、解決しなくてはならない問題が多数残っているが、ようやく、重力を包含する統一理論(しばしば究極理論と呼ばれる)が現実味を帯びてきた。現時点では、様々な超弦理論を包含するM理論が究極理論(Theory of Everything)の最有力候補となっている。

 一方、理論が先行する中、大型素粒子加速器など実験施設の建設費・運用費の高騰もあり、実験データの収集が遅々として進まないという状況が続いている。究極理論が本当に究極理論であることを論証するためには、実験データによる理論の証明が必要だ。
 物理学は数学とは違い、理論的整合性だけでは正しい理論とは言えない。現実を記述する理論でなくてはならない。
 ヒッグス粒子は直接究極理論と関わりを持つものではないが、その発見は究極理論へ向けての重要な第一歩となるだろう。

(H16/3/23記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.